写楽爺の独り言

写真好き爺の撮った写真の
紹介をメインにしています

円照寺のコウホネ 【埼玉県入間市】

2020年08月05日 | 神社仏閣
先はまだmだ月も紹介した「円照寺」のコウホネです。
2週間経ってはいるんですがコウホネはまだまだ少ない状態でした、
それでも先月より花数は数倍ありました。
花が小さい上に池の中なので中々上手く撮る事が出来ませんでした。

この日は撮影目的でなく、近くのスーパがコロナ感染者が出て突然その日のうちに
店が閉じられたので朝食用のパンが調達できずでコンビニに買いに出かけたついででした。
我が家から近いコンビニは駅前にあるのですが、どうせ歩くなら散歩道の方がましだと思い
時間も距離も倍以上かかる円正寺近くのコンビニに行く事にしました。

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円照寺の睡蓮

2020年06月05日 | 神社仏閣
5月にも土手から円照寺への散歩は紹介しました。
その時は池端のつつじと八重桜でしたが、今回は睡蓮です。
                 撮影は5月30日

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最勝寺 【埼玉 越生町】

2020年03月06日 | 神社仏閣
「越生梅林」へ行った帰りに近くに有る「最勝寺」に寄りました。
以前は越生梅林に行った帰りには立ち寄る事が多かったお寺さんですが、
ここしばらくご無沙汰でした。

『最勝寺』は源 頼朝が戦勝祈願の寺として創建されたとの伝承があるそうです。
真言宗智山派の寺院で『青龍山 最勝寺』と言い、武蔵越生七福神(福禄寿)の
一つでもあります。

        今回は載せられるような写真が無く、お蔵入りと考えていましたが
        新型コロナウイルスの流行で出かけるのを控えようと思いアップすることにしました。


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円泉寺 【埼玉県飯能市】

2020年02月17日 | 神社仏閣

埼玉県飯能市平松にある真言宗梅松山『円泉寺』です。
千数百年前弘法大師により草堂が建立され十一面観音菩薩を祀ったのが始まりとされ、
その後火災などにより本堂は消失してしまい現在の本堂(観音堂)は江戸末期に再建
されたそうです。

これまでにも梅の頃に何回か取り上げて来たお寺さんです、梅の花にはチョット早い
かなと思いながら今年は暖冬で各地で花の開花が早いとの事で行って見ました。
境内駐車場に多くの白梅があるのですが、車内から見た目では蕾さえも確認できない
感じでした。
そのまま帰ろうかと思ったのですが折角来たのだからとお地蔵さんなどを撮って、
車に戻って梅の木を良く見るとポツリポツリと開花しているのが見つかりレンズを向けました。
                               撮影は2月12日

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 (5) 妙見堂(妙見菩薩が祀られている) 円泉寺境内の一角に丘が造られその上にある




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深大寺 No2

2019年11月27日 | 神社仏閣
前回に続き深大寺境内の建物と周辺の秋模様です。
                      撮影は11月6日


 (1) 元三大師堂 慈恵大師(元三大師)像が安置さえている。 
            このお堂も幕末に焼失し直後慶応3年に本堂より先に復興されたそうです


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 (6) 鐘楼 これも幕末で火災にあい明治に入って再建されたそうです


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 (10) 深大寺周辺で撮った秋模様


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深大寺 No1

2019年11月25日 | 神社仏閣
「神代植物公園」の正門から入り、ダリア・温室・バラ園を通って正門とは反対側に有る
「深大寺門」から植物園を後にしました。
 深大寺門を出て直ぐの蕎麦屋で早めの中食を撮り深大寺境内を抜けて「深大寺」バス停から
 帰路に着きました。
 撮影順は逆になりますが「深大寺 No1」では門前の様子と本堂や山門を紹介します。


 (1) バラ園から武蔵野の面影が有る雑木林を抜けて深大寺門から園外にでました。


 (2) 山門前の蕎麦屋が並び、水木しげるの第二の故郷とあって「鬼太郎茶屋」と言う店も


 
(3) 山門 棟札に「元禄8年に普請」が記されていて現在の山内で一番古い建物


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 (6) 「浮岳山」の山号額が掲げられています


 (7) 本堂 幕末の火災で焼失、現在の本堂は大正に入って建てられたそうです


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 (14) 釈迦堂 国宝「白鳳釈迦如来像」が安置されています


 

「川越氷川神社」と「新河岸川の桜 No1」

2019年04月17日 | 神社仏閣
これまでにも何回も言っている川越です。
車で行くとが多いのですが街中を巡る時は電車で行って歩いて周る方が便利です。
今回は電車で行き「喜多院」から「氷川神社」までは「小江戸巡回バス」で移動しました。

『氷川神社』は6世紀に武蔵一宮である大宮氷川神社を分祠したことに始まったといわれる
 古い神社で、その後太田道灌が川越城を築城して以来、当地の総社として「お氷川様」と
 呼ばれ親しまれてきました。
 また、この神社の祭神は脚摩乳命・手摩乳命の夫婦神とその子奇稲田姫命と素戔嗚尊の
 夫婦神、さらにその子の大己貴命の五柱が祀られていることから夫婦円満・縁結びの神社
 として有名になっています。

訪れたこの日は平日でしたが多くの参拝客で混雑していました。
中高校生の団体やグループや老夫婦や外人客も多かったですが、和服を着たカップルの姿を
見かけました。

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 (2) 平成のご大典奉祝事業として建立された高さ15mの大鳥居(扁額の文字は勝海舟の筆)


 (3) 拝殿


 (4) 本殿 江戸後期に川越城主松平氏の寄進で江戸彫とよばれる精緻な彫刻が施されている



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 (6) 絵馬トンネル




 (7) 本殿裏にある境内への出入口



『新河岸川』は上の出入口を出ると目の前に流れている川で、両岸に桜が植えられています。
 埼玉県及び東京都を流れる一級河川荒川水系隅田川の支流です。
 江戸時代川越の河川は江戸と川越を結ぶ交通手段でした、明治以降電車の発達により
 船運は衰退しました。

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 (10) 上の様な人の群れにも係わらず欄干にハトが止まり人々を眺めています


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    ※ 新河岸川に沿って少し歩いて桜を撮ったので次回続きを紹介します。

川越 中院 と 仙波東照宮

2019年04月12日 | 神社仏閣
4月5日に川越に行って来ました。
 目的は喜多院の桜でしたが、折角出かけたのなら近くを巡って来ようと
 「中院」「仙波東照宮」「喜多院」「氷川神社」「新河岸川の桜」を撮って来ました。
 
 今日は川越 「中院」「仙波東照宮」を紹介します。

『中院』は、天台宗別格本山「星野山無量寿寺中院中院」が正式名称でご本尊は阿弥陀如来。
  創建は天長年間(平安)時代で千年を超す古刹と言われています。
  ここの境内にある枝垂れ桜が有名ですが、この時期には終っていました。

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 (2) 本 堂 


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 (7) 境内の通路には瓦を使ったところが有り、ここ抜けると桜が咲いていました


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「仙波東照宮」
 『仙波東照宮』は、徳川家康の遺骸を駿府から日光山へ移葬する途中、天海僧正によって
  喜多院で法要が営まれたことから、寛永10年(1633)に建立されたそうです。
  大きな「村の鎮守」様と言った静かな雰囲気があります。
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 (16) 社殿前の門扉には大きな葵の御紋がついています


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おまけ 「雪の日の庭の椿」
 4月10日こちらでは朝から雪が降る寒い一日でした、部屋の中から撮りました。
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法明寺 No1

2019年03月29日 | 神社仏閣
24日墓参りの帰りに寄った東京都豊島区南池袋にある『法明寺』です.

法明寺は弘仁元年(810年)真言宗の威光寺として開創され、後の正和元年(1312年)
日蓮宗に改宗して、『威光山法明寺』と寺号を改め現在に至ります。
関東大震災で本堂が倒壊、昭和に入っ再興されるも戦災で焼失してしまい
昭和34年に本堂がさらに昭和37年客殿庫裡を竣工し昭和43年に鐘楼ならびに
山門が復興されました。

法明寺参道には桜があり江戸時代から桜の名所となっていたそうですが、
この日は東京で開花宣言が出て3日目ぐらいで満開にはまだまだでした。

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 (10) 山門を入って参道側を見た構図


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 (12) 法明寺本堂


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 (15) 鐘楼 鐘楼は昭和に復興されましが、梵鐘は享保十七年(1732年)に再鋳されたものです


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雑司ヶ谷 鬼子母神

2019年03月27日 | 神社仏閣
3月24日にお墓参りで都内に出かけたので墓参り後にチョコッと散歩してきました。
池袋駅から徒歩十数分で行ける「法明寺」と「雑司ヶ谷 鬼子母神堂」です。
今日は「雑司ヶ谷 鬼子母神堂」を紹介します。

「雑司ヶ谷 鬼子母神堂」は室町時代(1561年)に地中より掘り出された像を清め、
東陽坊と言う寺(後に大行院と改称、その後法明寺に合併)に納めたと言われています。
信仰が盛んとなり安土桃山時代(1578年)『稲荷の森』と呼ばれていた現在地に堂が
建てられたのが始まりで江戸時代に現在の堂が建立され、昭和に解体復元の大修理が
行われて国指定重要文化財となりました。

鬼子母神はインドで訶梨帝母とよばれ、夜叉神の娘で多くの子供を産みましたが、
暴虐で近隣の幼児をとって食べるので人々から恐れ憎まれてました。
お釈迦様はその過ちから訶梨帝母を救おうとその末の子を隠して子を失う事の悲しみ教え、
帝母はこれまでの過ちを悟りお釈迦様に帰依し、その後安産・子育の神となりました。

ここの鬼子母神像は、鬼形ではなく吉祥果を持ち幼児を抱いた菩薩形の美しい姿をしている
そうで、ここの鬼子母神の『鬼』の字は、上部の角(ツノ)の無い字が使われています。

 (1) 鬼子母神堂 


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 (3)  鬼の字には角のが無い字が使われている



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 (7) 鬼子母神像


 (8) 神木の大イチョウ




 (11) 武芳稲荷堂(たけよしいなりどう)



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 (13) 妙見堂    鬼子母神堂と背中わせの様にあります


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