写楽爺の独り言

写真好き爺の撮った写真の
紹介をメインにしています

能仁寺の紅葉 No3

2018年11月30日 | 紅葉・黄葉
「能仁寺の紅葉」No3(最終回)は紅葉と一葉UPです。
紅葉風景を一応撮り終えた後、地面などに落ちている葉を撮ろうとしたのですが、
中々綺麗な落ち葉が見つかりませんでした。
かと言って「ヤラセ」になる様な小細工はしたくないので探すのに苦労しました。
                           撮影は11月16日
 

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能仁寺の紅葉 No2

2018年11月28日 | 紅葉・黄葉
  「能仁寺の紅葉」No2は前回紹介した本堂の裏手にある山の斜面にある
   墓地から望む、寺院の建物や塀の屋根などとの紅葉風景です。
                        撮影は11月16日   

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能仁寺の紅葉 No1

2018年11月26日 | 紅葉・黄葉


埼玉県飯能市の「能仁寺」です、11月16日に行って来ました。
能仁寺はこれまでにも何度も紹介して来たので
寺院の詳細は省略します。

写真で見ると紅葉見頃の感じですが、
近くで葉一枚一枚を見ると多くの葉が傷んで
いる様に見えました。

 No1では参道周辺と本堂周辺の紅葉
 を紹介します。



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 (11) 本 堂


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 (18) 開山堂 


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四萬部寺の紅葉 No3(最終回)

2018年11月23日 | 紅葉・黄葉
No3は四萬部寺の紅葉の最終回で、前回紹介の本堂裏手の有る丘の上の
紅葉・黄葉とこの丘の上から望む秩父の山と紅葉などです。
                       撮影は11月15日

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四萬部寺の紅葉 No2

2018年11月21日 | 紅葉・黄葉
前回紹介の四萬部寺本堂の裏手が丘になっていてそこの紅葉風景が私は気に入っています。
朝の渋滞に少し引っ掛かって到着したのは10時前でしたが、
既に数名にカメラマンが撮り始めていました。
その後紅葉狩りを兼ねた参拝客が増えて来て、老夫婦の二人連れが目につきました。
                             撮影は11月15日

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四萬部寺の紅葉 No1

2018年11月19日 | 紅葉・黄葉
首都圏にも紅葉前線が来ました。
今年の紅葉は所に寄って例年より早めだったり遅れ気味だったりして見頃の見定めが付きません、今シーズンの紅葉初撮りに埼玉県秩父市の「四萬部寺」に行って来ました。

『四萬部寺』は秩父市栃谷にあり「誦経山 四萬部寺(ずきょうさん しまぶじ)」と称して
秩父三十四ヶ所札所の一番札所となっています。

行基菩薩の開基と言われ平安時代播州書写山性空上人の「武蔵国秩父は観世音菩薩有縁の地なり、彼の地に行きて教化せよ」の命により弟子幻通は、この地で朝夕妙典四万部を読誦し供養を行ったと言われ「四萬部寺」の名が付いたそうです。
御本尊は聖観世音菩薩立像一木造りで江戸時代に造られ、本堂(観音堂)も江戸元禄時代の造営だそうです。

  撮影は11月15日でした、No1では入り口から本堂付近を紹介します。


 (1) 山門 



 (2) 本堂(観音堂)


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 (5) お里帰りのお釈迦様 
     このお釈迦様は明治時代に行方不明、70年後刻まれた銘文から四萬部寺の釈迦如来と
     判明した仏像が東京銀座の美術商で見つかり寄進などにより経塚を復元安置された事から
     「お里帰りのお釈迦様」と呼ばれるとの事です



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 (7) 鐘楼


 (8) 納経蔵 


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 (10) 施食殿 お施餓鬼を行なう堂 (お施餓鬼を行う堂が案るのは珍しい)




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鳩山会館

2018年11月16日 | 公園庭園など
前回記事の「護国寺」の後『鳩山会館』へ行きました。
ここの会館は10時からだったので護国寺で境内の写真を撮ってから鳩山会館へ向かいました。
庭園にはバラが植えられているので、どんな感じか一度も行ったことが無かったので行く事に
しました。

『鳩山会館』は明治時代に元衆議院議長の鳩山和夫氏が東京都小石川区音羽に居を構えたのが
始まりです。
現在の建物は関東大震災直後の1924年に和夫氏の子である鳩山一郎の私邸として建設されたもので、音羽にある事から「音羽御殿」と呼ばれる様になります。
当時の民主自由党と民主党が大合同して自由党(現自由民主党)になる時の中心人物の一人として動いたのが鳩山一郎氏であったことから、この邸が会合場所になったそうです。
また一郎氏が首相就任した後に当時のソ連との国交回復に向けた打ち合わせもここで行なわれたとの事です。

その後太平洋戦争による被害もあり増改築が行われましたが老朽化が進み、鳩山家の業績を伝える記念館「鳩山会館」として再生され公開されました。


 (1) 正面玄関 車寄せ


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 (3) 当時としては珍しい鉄筋コンクリート造の洋館で
     ハトやミミズクなどがモチーフとして装飾されている



 (4) 応接間・食堂から続く「サンルーム」



 (5) 大広間



 (6) バルコニー


     (7) ステンドグラス


 (8) 薔薇の咲く庭園kら望む洋館(鳩山会館)


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 (10) 鳩山一郎元首相の銅像(日ソ共同宣言・日ロ国交回復50周年の記念行事の中で寄贈された模様)


  「洋館と薔薇」の構図は絵になるので、「旧古川庭園」には何回も行っていたのですが
   ここ「鳩山会館」には一度も行ったことが無かったので薔薇の咲く時期に行って見ました。
   旧古庭園の庭園の薔薇はバラ園の様な感じに整理されていますが、鳩山会館の薔薇は庭園に
   庭の花の様に自然に咲いていました。

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護国寺

2018年11月14日 | 神社仏閣
前回の「上野寛永寺」に続いて都内にある徳川家ゆかりの寺院「護国寺」です。
10月30日に音羽御殿と呼ばれた「鳩山会館」に行ったので、
同じ最寄り駅の近くにある「護国寺」に寄ってきました。

『護国寺』は「神齢山 悉地院 護国寺」と言い、五代将軍徳川綱吉公がその生母桂昌院の
 発願により天和元年(1681年)に創建され、桂昌院念持仏の天然琥珀如意輪観世音菩薩像を
 本尊とされているそうです。

 (1) 仁王門 八脚門切妻造りで丹塗 元禄末期頃の建立ではとの事です




 (2) 不老門 建立は昭和13年と新しいが額面「不老」の二字は徳川家達公の筆



 (3) 観音堂(本堂) 元禄10年建立
      多くの建物が戦禍震災などで焼失した中そのままで現存する 






 (4) 月光殿〔重要文化財〕 大津三井寺の塔頭の客殿を昭和3年に移築された



 (5) 薬師堂 



 (6) 鐘楼 江戸時代中期の建立


 (7) 多宝塔  昭和13年の建立、石山寺の多宝塔(国宝)の模写だそうです







上野公園 寛永寺

2018年11月12日 | 神社仏閣
前回までのダリアを撮りに行った帰り「東叡山 寛永寺」に寄ってきました。
以前は上野の山一帯は寛永寺の山内で、中心となる「根本中堂」は現在の公園中心噴水の
辺りにあったそうです。
慈眼大師天海大僧正によって寛永2年に建立されました。
寺号の東叡山は比叡山延暦寺にみたてて東の比叡山から東叡山とし、
寛永寺の名は江戸時代寛永年間に創建されたことによるそうです。

明治維新以降敷地の大部分が上野公園となり、上野戦争・関東大震災・太平洋戦争等々により
建物等が被災した様ですが現在でも五重塔・清水観音堂・上野大仏等が上野公園い点在する形で残って居ます。


 (1) 東京国立博物館 と 噴水



 (2) 京成電鉄 旧「博物館動物園駅」昭和8年に開業し平成9年に休業となりました
      現在でも駅舎やホームは残っているっそうです




 (3) 寛永寺


 (4) 寛永寺「根本中堂」
      現在の建物は明治時代に埼玉の川越喜多院の本地堂を移築再建された物だそうです



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寛永寺の御霊廟には六名の将軍(四代家綱公・五代綱吉公・八代吉宗公・十代家治公・十一代家斉公・十三代家定公)と御台所が埋葬されています。
多くの御霊廟は第二次大戦でほとんど焼失してしまいました。


 (7) 五代綱吉公勅額門 (国指定重要文化財)


 (8) 勅額門には葵のご紋がありました



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 (10) 開山堂 (根本中堂の場所と国立博物館を挟んだ反対側方向にあります)
      寛永寺の開山である慈眼大師天海)大僧正と、
      天海大僧正が尊崇していた慈恵大師良源大僧正をお祀している      



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上野東照宮のダリア No6

2018年11月09日 | 花写真
上野東照宮のダリアを長く続けて来ましたが、このNo6で完了です。
今日はこれまでのNo1からNo5に分類出来なかったものです。
                          撮影は10月22日


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