松代の散策を終え国道403号須坂経由で小布施え向かいました。
『小布施町』は「栗と北斎と花のまち」と言われています。
栗は栗の木の栗、北斎とは浮世絵の葛飾北斎の事で、花のまちとは「フローラルガーデンおぶせ」や個人が手入れした庭を公開している「オープンガーデン」等です。
豪農商高井家に生まれた高井鴻山は江戸・京都で学問芸術を学び豪商でありながら庶民のリーダーとして幕末の変革にも関わってきました。
佐久間象山や北斎など思想家や文化人との交流も深く、天保の改革での取り締まりから北斎を守るため呼び寄せたとも言われています。
『小布施町』は「栗と北斎と花のまち」と言われています。
栗は栗の木の栗、北斎とは浮世絵の葛飾北斎の事で、花のまちとは「フローラルガーデンおぶせ」や個人が手入れした庭を公開している「オープンガーデン」等です。
豪農商高井家に生まれた高井鴻山は江戸・京都で学問芸術を学び豪商でありながら庶民のリーダーとして幕末の変革にも関わってきました。
佐久間象山や北斎など思想家や文化人との交流も深く、天保の改革での取り締まりから北斎を守るため呼び寄せたとも言われています。
小布施では「日本のあかり博物館」や「北斎館」も見学しましたが館内撮影禁止のため写真は有りません。
(1)小布施「栗の小道」
(2)「栗の小道」の栗の木 と 屋根瓦の上に落ちた栗
(3)「高井鴻山記念館」東門付近
(4)「高井鴻山記念館」敷地内の歩道
(5)「高井鴻山記念館」庭にて
曹洞宗梅洞山『岩松院」
開創は1472年と言われ、「北斎・正則・一茶ゆかりの古寺」として有名です。
本堂の天井には北斎が晩年に描いた「八方睨み鳳凰図」があります。
本堂裏手の墓地には豊臣秀吉の重臣で天下分け目の関ヶ原の合戦では徳川方に
つき広島城の大名となった、福島正則の霊廟があります。この地に埋葬されたのは幕府の陰謀により信越地方に国替えとなったからです。
小林一茶がこの地で詠んだ「やせ蛙 まけるな一茶 ここにあり」の句碑もあります。
開創は1472年と言われ、「北斎・正則・一茶ゆかりの古寺」として有名です。
本堂の天井には北斎が晩年に描いた「八方睨み鳳凰図」があります。
本堂裏手の墓地には豊臣秀吉の重臣で天下分け目の関ヶ原の合戦では徳川方に
つき広島城の大名となった、福島正則の霊廟があります。この地に埋葬されたのは幕府の陰謀により信越地方に国替えとなったからです。
小林一茶がこの地で詠んだ「やせ蛙 まけるな一茶 ここにあり」の句碑もあります。
(6)岩松院 仁王門
(7)本堂 この本堂の天井に21畳の「八方睨み鳳凰図」が描かれています
(8)
(9)福島正則の霊廟 正則は没後荼毘に付され霊廟には遺骨が埋葬されているそうです。
(10)墓地脇に並ぶお地蔵さま