西東京市の神社巡りは前回の東伏見稲荷の次に『田無神社』を訪れました。
この神社へは小学低学年の頃に祖母に連れられ何回も訪れた神社でした、
詳しい記憶はありませんが木々に囲まれた静かな場所で周りも街と言う感じでは
なかった様に思います。
現在は新青梅街道・青梅街道・所沢街道などの主要道路の交わる近くで当時の面影はまったくありませんでした。
『田無神社』は鎌倉時代の創建と伝えられ、ご祭神は「龍神様」です。
近くの谷戸と言う場所に「尉殿大権現(じょうどのだいごんげん)」がありました、
尉殿大権現と言うのは龍神様です。
徳川家康が江戸幕府を開くにあたり城や街づくりのために大量の石灰(壁の材料)を必要として青梅の地にそれを求めて青梅街道を開き、その時に谷戸に住んでいた人は青梅街道沿いに移住して宿場町・田無が造られました。
谷戸の宮山に鎮座する尉殿大権現を、1622年に上保谷に分祀し、1646年に宮山から田無(現在の地)に分祀しました。
1670年には宮山に残っていた尉殿大権現の本宮そのものを田無に遷座して、
1872年(明治5年)に熊野神社・八幡神社を合祀して田無神社と社名を改めました。
境内には、金龍・赤龍・白龍・青龍・黒龍の龍神様が、それぞれ神社を守ってます。
この神社へは小学低学年の頃に祖母に連れられ何回も訪れた神社でした、
詳しい記憶はありませんが木々に囲まれた静かな場所で周りも街と言う感じでは
なかった様に思います。
現在は新青梅街道・青梅街道・所沢街道などの主要道路の交わる近くで当時の面影はまったくありませんでした。
『田無神社』は鎌倉時代の創建と伝えられ、ご祭神は「龍神様」です。
近くの谷戸と言う場所に「尉殿大権現(じょうどのだいごんげん)」がありました、
尉殿大権現と言うのは龍神様です。
徳川家康が江戸幕府を開くにあたり城や街づくりのために大量の石灰(壁の材料)を必要として青梅の地にそれを求めて青梅街道を開き、その時に谷戸に住んでいた人は青梅街道沿いに移住して宿場町・田無が造られました。
谷戸の宮山に鎮座する尉殿大権現を、1622年に上保谷に分祀し、1646年に宮山から田無(現在の地)に分祀しました。
1670年には宮山に残っていた尉殿大権現の本宮そのものを田無に遷座して、
1872年(明治5年)に熊野神社・八幡神社を合祀して田無神社と社名を改めました。
境内には、金龍・赤龍・白龍・青龍・黒龍の龍神様が、それぞれ神社を守ってます。
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