ノーベル平和賞でしょう。
今朝の社説を見てみましょう。
朝日新聞
・ 白紙の領収書 これが大臣の「常識」か
・ コロンビア 和平への希望をつなげ
読売新聞
・ G20と経済成長 自由貿易阻む保護主義を排せ(2016年10月08日)
・ 中台関係緊張 圧力より対話で安定図りたい(2016年10月08日)
毎日新聞
・ 白紙の領収書 政治家の非常識に驚く
・ ノーベル平和賞 コロンビアに和平促す
日本経済新聞
・ 「各論反対」でシェア経済の芽を摘むな
・ 次期国連総長は強い指導力を
産経新聞
・ 国会論戦 成長に資する議論足りぬ
・ グテレス事務総長 強い支持を公正な運営に
中日新聞
・ 死刑廃止宣言 日弁連はどう説得する
・ ノーベル平和賞 内戦終結きっとできる
※ ノーベル平和賞を3社が取り上げました。
朝日です。
「和平への歩みが息を吹き返す弾みになるよう望みたい。
南米コロンビアの内戦を終結する合意をまとめたフアン・マヌエル・サントス大統領に、ノーベル平和賞が授与される。
半世紀以上もの凄惨(せいさん)な闘いの和解を実現するには、相当の時間と努力を要する。これを機に国際社会が関心を高め、和平づくりを支えるよう努めたい。
決定後、現地の報道陣からは若干の意外感が示された。9月に署名された画期的な和平合意は、今週の国民投票で否決されたばかりだからだ。
だがノーベル委員会は「平和への願望までが拒絶されたわけではない」とし、改めて交渉が進むよう期待を示した。
ノーベル賞には、すでに平和を達成した人を顕彰するだけでなく、今まさに平和に取りくむ人を後押しする使命もある。そんな強い意思がうかがえる。」
時の政治家が内戦を終結させようとするのは当たり前です。
それに平和賞は、とても違和感があります。
1981年以降のノーベル平和賞リストです。
1981年 - 国際連合難民高等弁務官事務所
1982年 - スウェーデン アルバ・ライマル・ミュルダール 、メキシコ アルフォンソ・ガルシア・ロブレス
1983年 - ポーランド レフ・ヴァウェンサ
1984年 - 南アフリカ共和国 デズモンド・ムピロ・ツツ
1985年 - 核戦争防止国際医師会議
1986年 - アメリカ合衆国 エリー・ウィーゼル
1987年 - コスタリカ オスカル・アリアス・サンチェス
1988年 - 国際連合 国連平和維持軍
1989年 - チベット ダライ・ラマ14世
1990年 - ソビエト連邦 ミハエル・セルゲイビッチ・ゴルバチョフ
1991年 - ミャンマー アウンサンスーチー
1992年 - グアテマラ リゴベルタ・メンチュウ
1993年 - 南アフリカ共和国 ネルソン・マンデラ、フレデリック・ウィレム・デクラーク
1994年 - パレスチナ ヤーセル・アラファート、イスラエル シモン・ペレス、イツハク・ラビン
1995年 - パグウォッシュ会議、ポーランドイギリス ジョセフ・ロートブラット
1996年 - 東ティモール カルロス・フィリペ・シメネス・ベロ、ホセ・ラモス=ホルタ
1997年 - 地雷禁止国際キャンペーン(代表としてアメリカ合衆国 ジョディ・ウィリアムズ)
1998年 - イギリス ジョン・ヒューム、デヴィッド・トリンブル
1999年 - 国境なき医師団
2000年 - 大韓民国 金大中
2001年 - ガーナ コフィー・アナン
2002年 - アメリカ合衆国 ジミー・カーター
2003年 - イラン シーリーン・エバーディー
2004年 - ワンガリ・マータイ
2005年 - 国際原子力機関、エジプト ムハンマド・モスタファ・エルバラダイ
2006年 - バングラデシュ ムハマド・ユヌス、グラミン銀行
2007年 - アメリカ合衆国 アル・ゴア、世界の旗 気候変動に関する政府間パネル
2008年 - フィンランド マルティ・アハティサーリ
2009年 - アメリカ合衆国 バラク・フセイン・オバマ・ジュニア
2010年 - 中華人民共和国 劉暁波
2011年 - リベリア エレン・ジョンソン・サーリーフ、レイマ・ボウィ、イエメン タワックル・カルマン
2012年 - 欧州連合
2013年 - 化学兵器禁止機関
2014年 - パキスタン マララ・ユサフザイ、インド カイラシュ・サティーアーティ
2015年 - チュニジア国民対話カルテット
2016年 - コロンビア フアン・マヌエル・サントス
国際連合難民高等弁務官事務所は仕事です。
当たり前のことです。
政治家も平和の創造は仕事です。
疑問です。
今朝の社説を見てみましょう。
朝日新聞
・ 白紙の領収書 これが大臣の「常識」か
・ コロンビア 和平への希望をつなげ
読売新聞
・ G20と経済成長 自由貿易阻む保護主義を排せ(2016年10月08日)
・ 中台関係緊張 圧力より対話で安定図りたい(2016年10月08日)
毎日新聞
・ 白紙の領収書 政治家の非常識に驚く
・ ノーベル平和賞 コロンビアに和平促す
日本経済新聞
・ 「各論反対」でシェア経済の芽を摘むな
・ 次期国連総長は強い指導力を
産経新聞
・ 国会論戦 成長に資する議論足りぬ
・ グテレス事務総長 強い支持を公正な運営に
中日新聞
・ 死刑廃止宣言 日弁連はどう説得する
・ ノーベル平和賞 内戦終結きっとできる
※ ノーベル平和賞を3社が取り上げました。
朝日です。
「和平への歩みが息を吹き返す弾みになるよう望みたい。
南米コロンビアの内戦を終結する合意をまとめたフアン・マヌエル・サントス大統領に、ノーベル平和賞が授与される。
半世紀以上もの凄惨(せいさん)な闘いの和解を実現するには、相当の時間と努力を要する。これを機に国際社会が関心を高め、和平づくりを支えるよう努めたい。
決定後、現地の報道陣からは若干の意外感が示された。9月に署名された画期的な和平合意は、今週の国民投票で否決されたばかりだからだ。
だがノーベル委員会は「平和への願望までが拒絶されたわけではない」とし、改めて交渉が進むよう期待を示した。
ノーベル賞には、すでに平和を達成した人を顕彰するだけでなく、今まさに平和に取りくむ人を後押しする使命もある。そんな強い意思がうかがえる。」
時の政治家が内戦を終結させようとするのは当たり前です。
それに平和賞は、とても違和感があります。
1981年以降のノーベル平和賞リストです。
1981年 - 国際連合難民高等弁務官事務所
1982年 - スウェーデン アルバ・ライマル・ミュルダール 、メキシコ アルフォンソ・ガルシア・ロブレス
1983年 - ポーランド レフ・ヴァウェンサ
1984年 - 南アフリカ共和国 デズモンド・ムピロ・ツツ
1985年 - 核戦争防止国際医師会議
1986年 - アメリカ合衆国 エリー・ウィーゼル
1987年 - コスタリカ オスカル・アリアス・サンチェス
1988年 - 国際連合 国連平和維持軍
1989年 - チベット ダライ・ラマ14世
1990年 - ソビエト連邦 ミハエル・セルゲイビッチ・ゴルバチョフ
1991年 - ミャンマー アウンサンスーチー
1992年 - グアテマラ リゴベルタ・メンチュウ
1993年 - 南アフリカ共和国 ネルソン・マンデラ、フレデリック・ウィレム・デクラーク
1994年 - パレスチナ ヤーセル・アラファート、イスラエル シモン・ペレス、イツハク・ラビン
1995年 - パグウォッシュ会議、ポーランドイギリス ジョセフ・ロートブラット
1996年 - 東ティモール カルロス・フィリペ・シメネス・ベロ、ホセ・ラモス=ホルタ
1997年 - 地雷禁止国際キャンペーン(代表としてアメリカ合衆国 ジョディ・ウィリアムズ)
1998年 - イギリス ジョン・ヒューム、デヴィッド・トリンブル
1999年 - 国境なき医師団
2000年 - 大韓民国 金大中
2001年 - ガーナ コフィー・アナン
2002年 - アメリカ合衆国 ジミー・カーター
2003年 - イラン シーリーン・エバーディー
2004年 - ワンガリ・マータイ
2005年 - 国際原子力機関、エジプト ムハンマド・モスタファ・エルバラダイ
2006年 - バングラデシュ ムハマド・ユヌス、グラミン銀行
2007年 - アメリカ合衆国 アル・ゴア、世界の旗 気候変動に関する政府間パネル
2008年 - フィンランド マルティ・アハティサーリ
2009年 - アメリカ合衆国 バラク・フセイン・オバマ・ジュニア
2010年 - 中華人民共和国 劉暁波
2011年 - リベリア エレン・ジョンソン・サーリーフ、レイマ・ボウィ、イエメン タワックル・カルマン
2012年 - 欧州連合
2013年 - 化学兵器禁止機関
2014年 - パキスタン マララ・ユサフザイ、インド カイラシュ・サティーアーティ
2015年 - チュニジア国民対話カルテット
2016年 - コロンビア フアン・マヌエル・サントス
国際連合難民高等弁務官事務所は仕事です。
当たり前のことです。
政治家も平和の創造は仕事です。
疑問です。