5年前に行った色丹島の報告を再掲しています。
直接見聞きしたことをご覧ください。
少しでも北方四島についての理解につながれば幸いです。
※ この色で書いたものは、平成28年、平成30年に書き足したものです。
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平成25年度 北方四島交流訪問事業(教育関係者・青少年)の報告8回目です。
個人的な見解や誤解も含まれるかもしれませんので、引用にはご注意ください。
今日は、穴澗初等中等学校視察 その3です。
オレイニコワ教頭先生に聞いた話をまとめてみます。これまでに触れたものもあります。
・ 6月から8月は夏休み。教員も夏休みは最大80日とれる。
その間、多くは大陸やサハリン、欧州へ旅行する。
ロシア人は貯蓄しない。旅行にお金を使う。日本に行く子もいる。
・ 今の校舎は2006年に完成した。
それまでの校舎は、地震で崩壊しました。
この写真は、斜古丹にあるセレブリャンナヤ小中学校です。
幼稚園の間借りでした。
出典 http://miraikoro.3.pro.tok2.com/travels/Hokkaidohopporyodo/HokkaidoHopporyodo5.htm
・ 1994年10月の地震までは440名の児童生徒がいたが、今は110名に減った。
それまでの校舎は・・・。
これはかつてのセレブリャンナヤ小中学校。
穴澗にも、そっくりの建物が残っていた。おそらく・・・・。
出典 http://miraikoro.3.pro.tok2.com/travels/Hokkaidohopporyodo/HokkaidoHopporyodo5.htm
・ 義務教育は9年。1~4年生が日本でいう小学校。5~9年生が中学校。10、11年が高等学校
・ カリキュラムは地方によって異なる。前(ソ連時代)は同じだった。
・ 村長が言うには、「ソ連時代はよかった。失われた20年があったけど、最近少しずつ復活してきた。
例えば、教員資格の確認テストなどが復活した。かつては、10,11年生が行く中等職業訓練校が約1000校あった。ロシアになり、それらがすべてなくなった。技術者を育てる仕組みが壊れた。」
我々社会科教師にとって、ソ連からロシアに変わってどうなったかは最大の関心事です。
複数の人に尋ねても、意外な答えが「ソ連時代が良かった」
これには驚きました。
職員のボロスタシビリさんは、「ゴルバチョフは破壊者、プーチン&メドは創造者」と言っていました。
西側に人気のゴルビーは、ロシアでは人気がないというのは本当でした。
「ソ連時代が良かった」と考える人の多いのは、何と考えたらよいのでしょうか?
今ではモノも豊かになり、秘密警察もなくなり、ずっと暮らしやすいと思うのですが、古き良き時代の郷愁でしょうか?
「今から100年後に、20世紀後半の世界史で、教科書で太字になるのはゴルビーと山中伸弥教授」と、予言しておきます。
・ 歯の治療ルームがあった。週1回歯医者が来て、無料で治療をする。
教員も緊急の時は看てもらえるが、一般人はだめ。
歯磨き指導は、学校としては行っていないようでした。
だから歯医者が来るのかも・・・。
・ 9時~3時30分。終わったら帰宅。その後、部活動に行く子や、音楽塾へ行く子など。
・ 1,2年生は、1,2時間目が終わってから20分の給食。終わってから3時間目。午後は2時間か3時間。
・ それ以上の学年は、午前3時間、昼食後3、4時間。授業1単位時間は45分間。
・ 男女比は約半々。
・ 授業料は無料、教科書は貸し出し。昼食も無料(5年生以後、一部有料)。昼食はランチルームで、調理員は3名。教師も一緒に食べる。アレルギーは今のところいない。
子どもは乳製品が好き。サラダ、フルーツ、肉も好き。
・ 技術は男女別習。
・ パソコン教室のパソコンは台湾製。ネット環境はOK。どの教室にもパソコン、プロジェクターがある。8年生からはよく使う。
・ 教師は20名。5年生以後 教科によって教師が変わる。教科教室形式。教師が自分の教室を持つ
・ 基本的に、1から4年生は同じ教師が担任。その先生は、4年生から1年生に戻る。
時には、1年生から11年間持つ人もいる。
・ 児童数は、1年生20人、2年生12人、3年生10人、4年生11人
・ 先生の人事異動はない。モスクワでも同じ。教頭先生はこの学校に50年(本当か?)いるといっていた。いくつだ?日本のシステムを説明すると、「なぜ?」と逆に不思議がられた。
・ 学校規模が小さいが、学校統合の話はない。「近い方がいい」からだ。
・ ロシア語教室とロシア文学教室は別。
・ 初任給は2万ルーブル。「足りています」との返答。
・ 島で生まれた子が80%
このデータは重要です。
20%は政策的に移住してきた人たちです。
ロシアとしては、実効支配をしている事実が大切なので、給与面等で優遇策をとり、移住者を募集しているのです。
かつてはアルメニア出身の人が多いと聞きました。
独立してからはわかりません。
・ 外国語の部屋があり、英語必修。夏には、日本語の先生が来て、残っている子に1か月教える。北対協が主催。
・ 100%が大学へ。大陸、サハリン、中国。お茶の水女子大へ行った子もいる。
音楽の先生の娘さんは、ハバロフスク大学へ行き、今回里帰りしている。
・ 教頭先生は、週6時間化学を教えている。8年生から11年生。
・ 普通の先生は、1週間に持ち時間が18時間前後。
・ 窓から、北海道東方沖大地震で壊れた軍の施設が残っている。
そのまま放置されているのが何とも言えない。
・ 運動場はないが、週3時間の体育がある。ゲームが中心で、「走らないのか?」と尋ねると、学校の周囲を走ると回答された。
・ 部活動は、ほとんどの生徒が家に帰ってから、それぞれで参加している。
隣の音楽教室へ行く生徒もいる。子ども中心にやり、ホッケー、女子はバスケットボール
(実際に、翌日にサッカーの試合を見たが、なかなかのレベルだった。)
・ 音楽の授業もあるが、歌中心。リコーダーなどの楽器はやらない。好きな子は、授業後に音楽塾へ行く。美術も同じ。
学校の隣にある音楽教室。
・ 宿題は、多く出すことを禁じている。最大、1日2時間まで。
・ 4年生以下は、金曜日には出さないことになっている。夏休みの3か月間は、宿題はない。
・ 地理、歴史、社会と分かれていて、地理は6年から、歴史は5年から、社会は5年から学習する。社会は、5~9年生は週1時間、10,11年生は週2時間。
・ 通学距離は、それほど遠くない。せいぜい20分。ただし、斜古丹から車で通っている子もいる。学校の選択は自由だから。斜古丹の学校は140~150人の生徒がいる。
・ 外国語は、2~4年生が週2時間、5年生以上が週3時間学習する。英語である。
・ 物価は高い。その分、給料も高くなっている。
・ 愛知の池田さんはこの日が誕生日。学校からプレゼントをもらっていた。
・ ロシアの憲法、大統領の部分が壁に貼ってあった。
・ 養護教諭とは別に、週1回、カウンセラーが来校するという情報もあり
似ているようでもあり、違うようでもあり・・・。
共通点と相違点を理解していくことが私たちの務めなのです。
このブログでのシリーズ記事は・・・
平成25年度北方四島交流訪問事業 -古釜布湾-
-古釜布湾2-
-穴澗湾 船中研修 -
-穴澗桟橋上陸 -
-歓迎式 -
- 穴澗初等中等学校視察 その1-
- 穴澗初等中等学校視察 その2-
- 穴澗初等中等学校視察 その3-
- インペリアルでの昼食 -
- 交流行事アトラクション -
- 意見交換会 その1 -
- 意見交換会 その2 -
- 意見交換会 その3 -
- 図書館見学 -
- 色丹島穴澗発電所見学 -
- 8月3日の夕食 -
- 稲茂尻視察 -
- 稲茂尻墓地墓参 -
- 斜古丹墓地墓参 -
- ホームビジット -
- サッカー大会 -
- 穴澗商店視察 -
- 夕食交流会 -
- 別れ ~ 出航 -
- 根室へ -
- 根室市春国岱原生野鳥公園ネイチャーセンター -
- 日本地図 -
- 出 発 前 -
このブログでの他のシリーズは・・・
さわやか中欧 見てある記 -1-
ベトナム・ホーチミン みてある記 -1-
タイ・バンコク 見てある記-1-
シェムリアップみてある記 -1-
香港に来ています
台湾レポート-1-
直接見聞きしたことをご覧ください。
少しでも北方四島についての理解につながれば幸いです。
※ この色で書いたものは、平成28年、平成30年に書き足したものです。
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平成25年度 北方四島交流訪問事業(教育関係者・青少年)の報告8回目です。
個人的な見解や誤解も含まれるかもしれませんので、引用にはご注意ください。
今日は、穴澗初等中等学校視察 その3です。
オレイニコワ教頭先生に聞いた話をまとめてみます。これまでに触れたものもあります。
・ 6月から8月は夏休み。教員も夏休みは最大80日とれる。
その間、多くは大陸やサハリン、欧州へ旅行する。
ロシア人は貯蓄しない。旅行にお金を使う。日本に行く子もいる。
・ 今の校舎は2006年に完成した。
それまでの校舎は、地震で崩壊しました。
この写真は、斜古丹にあるセレブリャンナヤ小中学校です。
幼稚園の間借りでした。
出典 http://miraikoro.3.pro.tok2.com/travels/Hokkaidohopporyodo/HokkaidoHopporyodo5.htm
・ 1994年10月の地震までは440名の児童生徒がいたが、今は110名に減った。
それまでの校舎は・・・。
これはかつてのセレブリャンナヤ小中学校。
穴澗にも、そっくりの建物が残っていた。おそらく・・・・。
出典 http://miraikoro.3.pro.tok2.com/travels/Hokkaidohopporyodo/HokkaidoHopporyodo5.htm
・ 義務教育は9年。1~4年生が日本でいう小学校。5~9年生が中学校。10、11年が高等学校
・ カリキュラムは地方によって異なる。前(ソ連時代)は同じだった。
・ 村長が言うには、「ソ連時代はよかった。失われた20年があったけど、最近少しずつ復活してきた。
例えば、教員資格の確認テストなどが復活した。かつては、10,11年生が行く中等職業訓練校が約1000校あった。ロシアになり、それらがすべてなくなった。技術者を育てる仕組みが壊れた。」
我々社会科教師にとって、ソ連からロシアに変わってどうなったかは最大の関心事です。
複数の人に尋ねても、意外な答えが「ソ連時代が良かった」
これには驚きました。
職員のボロスタシビリさんは、「ゴルバチョフは破壊者、プーチン&メドは創造者」と言っていました。
西側に人気のゴルビーは、ロシアでは人気がないというのは本当でした。
「ソ連時代が良かった」と考える人の多いのは、何と考えたらよいのでしょうか?
今ではモノも豊かになり、秘密警察もなくなり、ずっと暮らしやすいと思うのですが、古き良き時代の郷愁でしょうか?
「今から100年後に、20世紀後半の世界史で、教科書で太字になるのはゴルビーと山中伸弥教授」と、予言しておきます。
・ 歯の治療ルームがあった。週1回歯医者が来て、無料で治療をする。
教員も緊急の時は看てもらえるが、一般人はだめ。
歯磨き指導は、学校としては行っていないようでした。
だから歯医者が来るのかも・・・。
・ 9時~3時30分。終わったら帰宅。その後、部活動に行く子や、音楽塾へ行く子など。
・ 1,2年生は、1,2時間目が終わってから20分の給食。終わってから3時間目。午後は2時間か3時間。
・ それ以上の学年は、午前3時間、昼食後3、4時間。授業1単位時間は45分間。
・ 男女比は約半々。
・ 授業料は無料、教科書は貸し出し。昼食も無料(5年生以後、一部有料)。昼食はランチルームで、調理員は3名。教師も一緒に食べる。アレルギーは今のところいない。
子どもは乳製品が好き。サラダ、フルーツ、肉も好き。
・ 技術は男女別習。
・ パソコン教室のパソコンは台湾製。ネット環境はOK。どの教室にもパソコン、プロジェクターがある。8年生からはよく使う。
・ 教師は20名。5年生以後 教科によって教師が変わる。教科教室形式。教師が自分の教室を持つ
・ 基本的に、1から4年生は同じ教師が担任。その先生は、4年生から1年生に戻る。
時には、1年生から11年間持つ人もいる。
・ 児童数は、1年生20人、2年生12人、3年生10人、4年生11人
・ 先生の人事異動はない。モスクワでも同じ。教頭先生はこの学校に50年(本当か?)いるといっていた。いくつだ?日本のシステムを説明すると、「なぜ?」と逆に不思議がられた。
・ 学校規模が小さいが、学校統合の話はない。「近い方がいい」からだ。
・ ロシア語教室とロシア文学教室は別。
・ 初任給は2万ルーブル。「足りています」との返答。
・ 島で生まれた子が80%
このデータは重要です。
20%は政策的に移住してきた人たちです。
ロシアとしては、実効支配をしている事実が大切なので、給与面等で優遇策をとり、移住者を募集しているのです。
かつてはアルメニア出身の人が多いと聞きました。
独立してからはわかりません。
・ 外国語の部屋があり、英語必修。夏には、日本語の先生が来て、残っている子に1か月教える。北対協が主催。
・ 100%が大学へ。大陸、サハリン、中国。お茶の水女子大へ行った子もいる。
音楽の先生の娘さんは、ハバロフスク大学へ行き、今回里帰りしている。
・ 教頭先生は、週6時間化学を教えている。8年生から11年生。
・ 普通の先生は、1週間に持ち時間が18時間前後。
・ 窓から、北海道東方沖大地震で壊れた軍の施設が残っている。
そのまま放置されているのが何とも言えない。
・ 運動場はないが、週3時間の体育がある。ゲームが中心で、「走らないのか?」と尋ねると、学校の周囲を走ると回答された。
・ 部活動は、ほとんどの生徒が家に帰ってから、それぞれで参加している。
隣の音楽教室へ行く生徒もいる。子ども中心にやり、ホッケー、女子はバスケットボール
(実際に、翌日にサッカーの試合を見たが、なかなかのレベルだった。)
・ 音楽の授業もあるが、歌中心。リコーダーなどの楽器はやらない。好きな子は、授業後に音楽塾へ行く。美術も同じ。
学校の隣にある音楽教室。
・ 宿題は、多く出すことを禁じている。最大、1日2時間まで。
・ 4年生以下は、金曜日には出さないことになっている。夏休みの3か月間は、宿題はない。
・ 地理、歴史、社会と分かれていて、地理は6年から、歴史は5年から、社会は5年から学習する。社会は、5~9年生は週1時間、10,11年生は週2時間。
・ 通学距離は、それほど遠くない。せいぜい20分。ただし、斜古丹から車で通っている子もいる。学校の選択は自由だから。斜古丹の学校は140~150人の生徒がいる。
・ 外国語は、2~4年生が週2時間、5年生以上が週3時間学習する。英語である。
・ 物価は高い。その分、給料も高くなっている。
・ 愛知の池田さんはこの日が誕生日。学校からプレゼントをもらっていた。
・ ロシアの憲法、大統領の部分が壁に貼ってあった。
・ 養護教諭とは別に、週1回、カウンセラーが来校するという情報もあり
似ているようでもあり、違うようでもあり・・・。
共通点と相違点を理解していくことが私たちの務めなのです。
このブログでのシリーズ記事は・・・
平成25年度北方四島交流訪問事業 -古釜布湾-
-古釜布湾2-
-穴澗湾 船中研修 -
-穴澗桟橋上陸 -
-歓迎式 -
- 穴澗初等中等学校視察 その1-
- 穴澗初等中等学校視察 その2-
- 穴澗初等中等学校視察 その3-
- インペリアルでの昼食 -
- 交流行事アトラクション -
- 意見交換会 その1 -
- 意見交換会 その2 -
- 意見交換会 その3 -
- 図書館見学 -
- 色丹島穴澗発電所見学 -
- 8月3日の夕食 -
- 稲茂尻視察 -
- 稲茂尻墓地墓参 -
- 斜古丹墓地墓参 -
- ホームビジット -
- サッカー大会 -
- 穴澗商店視察 -
- 夕食交流会 -
- 別れ ~ 出航 -
- 根室へ -
- 根室市春国岱原生野鳥公園ネイチャーセンター -
- 日本地図 -
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