にをいがけからはじめよう

おみちに引き寄せられて25年。
落ちこぼれようぼくだけど精いっぱいのにちにち。

涙のにをいがけ

2007年12月17日 22時51分48秒 | にをいがけ・おたすけ

今日は、長女の19歳の誕生日なので、
御礼の意味もこめて、車で東松山までにをいがけに行った。
今年の3月ころからつないでいる人がいるので、
もう師走だし、年末のご挨拶にも行きたかった。


車もなくめずらしく留守だったので、行ったことのない場所へ歩いていった。
このとき、ポケットに携帯、上着の袖口のなかにリーフレットとボールペン。
いつものバックは車に置いていった。
超身軽だったので、ときどき駆け足で回った。

国道ちかくのお家へ行ったら、お嫁さんが出てきてくれた。
もう11時を過ぎていたので忙しいんでしょうが、出てきてくれた。
お嫁さんとは言っても、76~77歳っていったかな。
農家の奥さん風だった。



どうやらその方のお姑さんが近くの天理教の教会へ行っていたという。
100歳過ぎてもう前に出直したのだけど、
すっごくいい人だったの、とお嫁さんがいうのだ。
天理教では、嫁にいった先が自分の本当の親だと聞かせてもらうんですよ、と、
言わせてもらったら、
目を丸くして・・『そうなんだってね!!(゜o゜)』とのお返事。
ああ、、ちゃんと流してもらっているんだなと。。。嬉しくなった。




このあたりは、分家の寄り集まりだよ、という話から、思いがけない話になった。
すぐ前の国道の近くで数年前に小学生だった近所の子供が、
事故で亡くなったという。
通学班で歩いていたら外人の運転するバイクがぶつかってきた。
3人で歩いていたんだけど、その子供さんだけにバイクが・・・・
その子供さんは、両親の10年目に出来た大切なお子さんだった。
だから、両親が大変な状況だったという。
それから、その私がお邪魔した家の前の道に、ガードレールを付けられたという。
道幅のせまさのわりに、車の往来があるなって感じだった。

 


話を聞かせてもらいながら、身につまされて涙が出そうになった。
なぜ私はこの方からこの悲しい話を聞かされているんだろう、と思う。


隣のお家へ行くのだけど、泣けてきてしまう。
インターホンだけなら気にならないけど、泣き顔で話も出来ないので、
歩きながら気持ちを切り替えようとした。
でも、道の端でメモを書いていながらも、
涙が止まらなくてずっとメモをとりながら、泣いていた。
こらえきれずに泣きながら、歩いていた。


長女のことを考えていた。
くわしくはここには書けないけど、ずっとあの子なりに悩んで生きてきて、
いま長女が生きていてくれていることが、本当にうれしかった。




その思いをかみ締めながら、涙目でにをいがけをしていた。
留守も多かったけどね。。それが今日はホッとした。



私たちは留守の時も、
「天理教です。ありがとうございました。」
と、いつも玄関のほうにむかって、頭を下げるのだけど、
いつもの”ありがとうございました”をその時は、天にむかって言っているように感じた。
天に御礼を言っている自分がいた。
なんとも言えない気持ちになった。

 

 

 

そんなことがあって1時間半ほど歩かせてもらった。
帰り道、はじめに行った家へ行ってみたら、車があった。
帰って来ていたのでお声をかけて、今年の御礼とおさづけをさせて頂いて、
東松山をあとにした。

 

拝殿でも思い出して泣いてしまった。
今日は、よく泣けてくる日だった。
忘れられない長女の誕生日になったと思う。