私も色々と反論したが、バリヤーが張り巡らされていて、
私の言ったことが跳ね返ってしまう。
もう何を言っても無駄だと思った。でも、
「さっき、”みんなその日一日生きていくのが精一杯で、私なんかの話を聞いている暇はない”って仰ってたじゃないですか。でも、私もなんとか今日一日少しでも神様のことを知らない人に知ってほしくて、こうして歩かせてもらうんです。」
『そうか。そんなのは自己満足だ!!』
「じゃあ分らないながらも必死に歩いている私たちの気持ちが分りますか?!」
『もっと、なるほどと思ってもらえるように話さなくちゃだめだ。そうだろ?!!!』
言っていることは分るし、その通りで間違っていないと思うけど、
悔しくて涙目でその人の目を見返していた。
泣くのをガマンして。絶対に逃げ出したくなかったので・・
『もうあんたの話は聞きたくないから。』
そう言い、私は促されて立ち上がり、門から出て歩き出した。
『あんたがあんまりえばって入ってきたから!』
「わたし、えばってましたか?!」
『もうちょっと勉強してこなくちゃ駄目だ!』
「もうちょっと勉強してまた来さしてもらいます」
『ちょっとじゃダメだ!100年早い!どこから来たんだ!』
「坂戸です。」
『坂戸のどこだ!』
「○○○です。」
『あんなほうから来たのか!時間の無駄だ!あんたみたいなのは宗教の恥だ!』
「恥ですか?!」
『そうだ!!』
その方は、すぐ近くの家の門を開けて入ろうとしていた。そこが家らしかった。
拝殿奉仕の当番だったので、帰らなきゃと思い、帰り際に、
「今日は、ありがとうございました!」
と、言わせてもらったら、また、
『なにが”ありがとう”なんだ?!』
「今日は、神様が言って下さった言葉だと思います。」と、私。
が、その方は、もうなにも言わなかった。
そのあと、すぐ近くの家のインターホンを押したが留守。
顔も涙目だったので、教会に帰ることにした。
こみ上げてくるものを抑えるのがやっとだった。
あんな人、初めてだった。
あんなに言われたのも初めてだった。
天理教の布教をする資格はないって・・
あの方は、やはり神様のお使いなんだろうな。
ありがたいと思わなきゃ・・
けど、ぺらぺら言い返せない自分、自分は何を伝えたいんだろう。
分らなくても分らないながらも、歩かせてもらわないといけない使命があるわけで・・
何だか悔しくて悔しくてあとで泣いた。
布教のやりかたを見つめ直さなくてはいけない時期なのかな、と考えた。
本当に自分が伝えたいことを伝えたい。
と感じさせて頂いたお相手だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今もそうだけど、5年前は今よりもっと未熟だった頃。
今の自分だったら、こんなに感情的はならないな。
違う言葉もかけることが出来たと思う。
・・・・実はこれにはまだ続きがある。
又の機会にでも。。長々と聞いて頂いてありがとうございました。