にをいがけからはじめよう

おみちに引き寄せられて25年。
落ちこぼれようぼくだけど精いっぱいのにちにち。

言えなかったことはいつか言えるときがくる

2008年05月15日 22時48分12秒 | にをいがけ・おたすけ

身上の婦人さんのお宅へ今日で4回目。
3回目の時、チラシにメッセージと名前や電話番号を書きのこして
ポストへいれておいた。
それがあったから、今日私が名前を言ったら、『あぁ・・』と反応したのね。

『私、宗教とかそういうのはあんまりね~』

「それはいいんです。ただ元気になられたかなと思って来てみました」
『おかげさまで良くなりました』
「そうですか。お元気になられたのならいいんです。良かったですね!!」
と、どうってことのない情けない会話ダ・・

身体をUターンさせたとたん、頭の中で思いが浮かんできた。

<人間って知っている人でも知らない人であっても、どこか具合の悪そうな
人が目の前にいたらきっと”大丈夫ですか?”と声をかけると思うんです。
私は天理教の布教でこちらのお宅に来させていただき、お家の方が
体調が悪くて玄関まで行けないと伺って、心配になりました。
それって特別なことなんかじゃなく当たり前のことだと思うんです。
宗教だとか関係ないじゃないですか。>

こんなことを浮かばせてもらって、こみ上げてくるものがあった。

言えなかったことをクヨクヨ考えていても仕方がない。
次、言えるときがきっとあるから、そのときは言えるようにしよう。
そう思ってみた。


・・・・・・・・・

チャリを置かせてもらったデパートの駐輪所に戻って、母子の方にお声かけ。
ちょっと年がいっている感じ。
宗教は嫌いってことだったけど、さらにつないでいったらキッパリと拒絶。
子供は何人かぉ育てになっている様子。
このとき、私がチャリキーがない!ない!とバックやらズボンやら
ごそごそやっていたら、やってきた母子さんだったので、タイミングだな~。
ここにもタネは蒔けたか。。

 

・・・・・

夕方、私のチャリが人のチャリと出会いがしらで接触。
くわしくはこちらまでどうぞ。
これもなにか見せていただいたのだと思う。
もっと慎重に、、ぼうっとして安心していたらいけないよ、と
言葉かなって思わせていただいた。

今日は、集中できない日だったけど、種まきは出来た。
どんなタネが蒔けたか。

 



 


車やチャリに乗るより歩く行為に好意的

2008年05月15日 21時26分58秒 | にをいがけ・おたすけ

今日は、拍子抜けました。。

勉強会があるのかと思って30分前には教会へ。
午後からにをいがけができるなって思って、その前にお昼を食べてとか
今日の計画を立ててあったのね。
でも、今日は延期で勉強会はない、、とのこと。
いったいいつ変更したんだろうかと、、ちょっぴり心使ったんですよ。

でも、まあこういうことも過去には何度もあったから
良いんです、ただこのあとどうしようかなと。
すぐにをいがけに行けば良いんでしょうが、それも出来なくて
とにかく勉強会のための荷物。。といいましょうか、グッズといいましょうか。
おふでさきなど分厚い本やノートがある。
重くて多いのでいったん家に置いてこようと、また家に戻ることにした。
チャリの前かごに入れっぱなしにしておけない、、ましてや持って歩けない。
なんだか、にをいがけが出来ないいい訳みたいでやな感じ。(ーー;)


記事を更新後に思ったけど(正確には風呂に入ったとき(^^ゞ)
思うように行かない時は思うように行かないなりに歩かせてもらえばいいんだ。。

・・・・・・

お昼ごろ、にをいがけに歩きました。(このときチャリも一緒)
ベビーカーの母子の方に後ろからお声かけ。
横に並んだら、妊婦さんでした。もう生まれそう・・
上の男の子(ベビーカー上の)をみて、自分のことを思い出した。

自分は下の子が生まれると上の子との兼ね合いが難しくて大変だったこと。
自分はそのころ、天理教を聞いていなかったこと。
もっと早く聞いていれば良かったと思ったということ。
知らないよりは知っておいた方が、色々と対応が出来ること。

など、自分の子育ての経験を少しだけ話させてもらったが
宗教ということでピンとは来なかったようだった。

・・・・・・・・・


最近は、車やチャリに乗らなくても、歩いていきたい、、歩く行為が好きに
なってきたようだった。にをいがけで歩くというのではなく
徒歩が良いと思うようになってきたんですよね。
時間さえ許せば。。
この分なら毎日家から徒歩で教会へ参拝も夢じゃないなぁぁ
ちなみに徒歩だと40分ほどかも・・


以前、戸別で回ったとき、インターホン越しに自分は身体の具合が
悪いので玄関まで行くことができないという婦人さんに会った。

~つづく