にをいがけからはじめよう

おみちに引き寄せられて25年。
落ちこぼれようぼくだけど精いっぱいのにちにち。

手応えを感じたい

2009年11月04日 21時25分00秒 | にをいがけ・おたすけ

 

『yoshiさんは、寄れる家あるんですか?』

と聞かれた。厳密に言うと、なくもないがこの時はときは浮かばなくて
「年々減ってきますよね」と答えてしまう。

今日、そのことを考えながらにをいがけをしていた。
どんなににをいがけにいそしんでも、寄れる家が出来ないってことはどういうことか。
真剣にやってないわけではない。
むしろ真剣だと思う。
寄れる家はあるからよくて、ないからダメだってことではないよね。



戸別訪問とかさせてもらうけど、手応えとか感じないときも多くて
神様の御用をしている実感が湧いてこなくて、、今日なんかも、そうだった。
暇つぶしなんかで家を回っているわけではなく、
自分の大事な時間を使わせていただいてます。
人に言われてやっているわけでもないんだ。
自主的にさせてもらっているつもりでいるんだけど。


ただ、何が良くて何が悪いじゃないんだ、と思う。
”こんなんでいいのかな””これでいいのかな”ってのをコツコツ並べていくしかない。
自分がやっているこの仕事はすごい仕事だと思うんだよな。
自分ってすごいんだ。




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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
はい (鯉太郎)
2009-11-05 06:44:46
yoshiさんの毎日はしっかりした、神様に喜んで頂いている道だと思います。しっかり種は蒔かれていると思います。

種がいつ芽生えるのかは、人間には分からない。ただしかっり蒔いていることは、わかります。

そしてその姿は、何より親が喜んで下さっておられますよ。

心配ない!
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 (おたすけ人)
2009-11-05 17:27:21
yoshiさん、神様はありますから大丈夫ですよ。コツコツがいいんですから。
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yoshi (鯉太郎さんへ)
2009-11-05 19:54:04
鯉太郎さん、ありがとうございます!

『心配ない!』
の一言、効きました!

また頑張ってみます。
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yoshi (おたすけ人さんへ)
2009-11-05 20:23:02
コツコツならお任せください。笑

要はどのような気持ちで歩くのかが大事ですから
御礼の気持ちを忘れないでさせていただきます。
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新年 (おたすけ人)
2010-01-05 07:52:59
新年あけましておめでとうございます。昨年は何かとお世話になりました。本年も宜しくお願い致します。
お正月もそろそろ終わりですね。
昨年は年末に、いろいろありましたが何とか通れました。お道のおかげです。「お道」という通り方。素晴らしいなぁと感じます。神様の話に、お道は、自分でやっておるとお思いでしょうが、そうではないよ。世界一列の親として、神様が我々をたすける為にさせて下さっているのです。お連れ下さっているのです。有り難いですね。今年も頑張ってまいりましょう。
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yoshi (おたすけ人さんへ)
2010-01-07 20:26:58
ブログ更新していないのに気にかけていただいてすみません・・ありがとうございます。

そうですね。正月も終わりです。
にをいがけおたすけ神様の御用、他教内活動に
忙しい一年がまた始まりました。。
ちょっぴり憂うつなんです、正直。
でも、、、でも、、そうも言っておられませんよね。
おたすけ人さんの話だと、
この多忙な御用は神様が私のことを
たすける為にさせて下さっているということになりますね。
心底そう感じさせてもらうようになるまで
まだ時間がかかりそうです。形からでも
合わせていかないとですね。
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お返事 (おたすけ人)
2010-01-07 23:48:31
お返事ありがとうございます。 憂鬱。私も正直そう思う事は沢山あります。家庭の中でも道の反対はありますからね。そして、一人じゃあ全部出来ませんもの。だから、後は受け取り方なんだと思います。いろんな御用や行事があって、間に合わせようと頑張る。しかしながら、家庭やいろいろな事が次々と起きたりあって、間に合わなくてしまい、スイマセン。となることが少なくない。そんな事がいっぱいあると元気なくなります。さらに自分の思いが思うようにならないから疲れちゃいます。けれども、これこそが、大難を小難、そこに変えている。
しかしながら私はよく分からなかった。けど、だんだんと成ってくる事が神様の現れである事が分かり、身の回りで起きてくる事で納得しました。本当に周りでは命に関わる事があって、こうやって見る事やお詫びという形で変えて下さるんだと、悩むという形が病気だったら大変です。いろんな形に変えているという事を分からしてくださっているんだなぁ。と思いました。
道が変わるんだと思いました。そこで喜べました。
だんだん分かるには、逸話編の衣食住のひながたや挨拶が大切です。これは素晴らしい徳の積み方です。食べ方一つ、挨拶一つ、立て方一つ、なんです。
今年は前向きがいいみたいです。
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yoshi (おたすけ人さんへ)
2010-01-09 17:43:11
身上って表に表れているから
分かるもんであって、あらわれてないから
健康ってわけではないはず。自分も
果たして健康なのかどうか分かりません。
今年はちょっと心配です。

かといって元気でないかというと
そんなこともなくて、元気です。健康と心の元気は違うんですよね。
食べ方一つ、挨拶一つ、立て方一つ、、ですかー。
一つ一つが深いですよね。ちなみに食べ方ってどういうことなんですか?
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食べ方 (おたすけ人)
2010-01-09 21:18:31
食べ方一つですが、教祖は菜の葉一枚粗末になさらなかった。卑しいのと違う。すたれもの身に付くで。つまり、徳が積まれ、やがて思ったように食べ物に恵まれるのです。また、魚に美味しい。ありがとう。と言われ召し上がられた。まるで会話しておられるようだ。こうしてすると出世して人間に近づくともおっしゃった。つまり、何でも、命の御礼を申して、喜んでたすけられた。
教祖がお使いになられた器には接いであるのが幾つかあった。つまり物をまるで命があるが如く扱われた。また、珍しいものや、お作り下された方に、たとえ神様のご用でご飯を食べる事が出来ない時でさえ、作り側に御礼申し上げた。

まとめますとご飯を頂く時は、神様のお与え・天の恵みですから、「神様、教祖ご飯をありがとうございます」こうして食べると恩を重ねない。次に、食べ物に、君のおかげで命を繋いで頂ける。ご飯さんありがとう。そして、器さんに器さんがあるからこうしてご飯を食べれるね。ありがとう。そして、作り手に美味しいありがとう。と言って食べるんです。こうしてご飯一つですが、徳の積み方を一つ、出来たようだとみて、また一つ、そしてまた一つとお教え下されたと思います。 亡くなった私のお婆様は、いつもいつも喜んでいました。お口は静かで余り聞こえませんが、そのように食べられ、いつ行っても、ご飯食べたかい?食べてないと、丁度良かった。冷蔵庫にあるからお食べ、といつもこんな感じで、98歳まで置いて頂けたのでした。
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yoshi (おたすけ人さんへ)
2010-01-11 19:11:21
始めの方の逸話は聞いて知っていましたが
おたすけ人さんのお婆様のお話しも逸話のような気持ちになってきました。
時間がゆったりと流れている時代だったんでしょうか。そんな分けないけど、私の出直した祖母も、遊びに実家へ帰ると、私や子供のお腹の様子を気にかけてくれていたなって思い出しました。
なかなかできることではありませんよね。
聞くだけじゃなくて、与える準備もしなくては、、ですものね。
そういうおばあさんになりたいものだな。。
私には無理だと思うなぁ。
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