日曜日に<にをいがけの心>を作ることは、大変。
平日が楽々というわけでもないから、まあ、そんなに変わらないか。
いつも通り過ぎているアパートに。
留守も多かったけど、期待していなかった割には、人がいてくださって良かった。
にをいがけって御礼だから、少しでも喜び心でさせて頂きたいものです。
日曜日に<にをいがけの心>を作ることは、大変。
平日が楽々というわけでもないから、まあ、そんなに変わらないか。
いつも通り過ぎているアパートに。
留守も多かったけど、期待していなかった割には、人がいてくださって良かった。
にをいがけって御礼だから、少しでも喜び心でさせて頂きたいものです。
(なんてタイムリーなんでしょう(^^)v)
お二人とも、コンビ組みましたか~笑
今日は、あ!今日も、なにもありませんでしたが、毎回私自身が感じるご守護は、はっきりとありました。
ありがたい!
大変ですね
大変であれば、いつもにをいがけの心になれば
大変では、御座いません、
家に居ても、家族に、にをいがけ、TVを見ていても、
感想は、親心で、の感想して、にをいがけ
にをいがけは、にをいを掛ける人の人格や雰囲気に、よって、の印象から、外部の人が見て、決まりす
いい雰囲気、良い、にをいに、よって、神様が働き
ふしぎな出会いが、あります
それには、自分のくせ、しょうぶん、〔八ッのほこり〕と毎日戦い、いんねん自覚が大事で、
自分の因縁の自覚が、確実にないと、真剣ににをいがけ、おたすけができません 自分の因縁の自覚が、解らない、用木の人は、自分勝手に、生きていけば、解ります それでも、解らない人であれば、親神様教祖に、三日間かけて、真剣に、お社の前で、自分のいねんを、見せて、頂くことを、お願いすれば、見せて、頂けます
いんねの自覚が有り、日々のたんのが有り、自然に
にをいがけの心ができます。
いつもにをいがけの心
それが言えるような人間にならなくては。。。
私もにおいがけには「なんとなく」ですが
天理教です!というにおいがけと
天理教と言わないにおいがけ
というのがあるような気がします。
初めて会う人には天理教ですと言わなくてはならない時もありますが、ずっと長く付き合う方たちはいつも自分を見ています。天理教と宣言しなくてもなるほどの人になれば良いのですよね?なるほどの人になることが天理教だと言うことより大事なような気がします。
勝手な解釈です、もっと勉強しま~す。
にをいがけのためにまず家を出ること。
歩きだすこと。そして、声をかけること。
が日々の目標でしょうか。
相手じゃないんだ、自分なんだと思うのだけど、
逃げることを考えてしまいます。
にをいがけおたすけで、どんなことになっても、
それは話の種になると思うから喜べるけど、
そうじゃないところだと、悩むんですよ。
向こうから話を聞きたいと寄ってくるような、
ようぼくになりたいものです。
果たしてなれるのか、どうか。。。
私には、わかりません。
親神様おやさまの喜ばれることを日常で実行ですかな~。
主人を大事にしないと・・私の課題です。
それそれ・・・私も同感です。
夫婦は一番難しいですね。ず~っと一緒だし、
私は妻を幸せにしないと・・です。頑張りましょう。↑
最近の現代人の方が、よく使うことばです
なんとなくできた
なんとなくできない
なんとなく聞いた
なんとんくやった
と、色々な事に使われます
なんとなくとは、〔自然に〕〔ふしぎに〕と、言うことばです
なんとなく生きて、生活する事が、各自のいんねんです
天理教の用木の人たちで、なんとなく、天理教を信仰
している人が、最近多く見かけます
なんとなく信仰している人は、自分のいんねんの自覚が、無い方が多いいです、特に最近の教会長や布教所長に多く見られます 教会長や布教所長が、自分のいんね自覚が無いと、そこにいる信者さんたちも、いんねんの自覚が、なんとなくしか、できないのです
いんねん自覚ができると、あとは、自分との戦いです
自分との戦いを毎日していると、まんねりか、して
たんのうが、できます
たんのうができると、良い意味で、なんとなく、にをいが、かかります なんとんくのことばを、一段上の良い方向にむける事が、大事です
>天理教です!というにおいがけと
天理教と言わないにおいがけ
というのがあるような気がします。
初めて会う人には天理教ですと言わなくてはならない時もありますが、ずっと長く付き合う方たちはいつも自分を見ています。天理教と宣言しなくてもなるほどの人になれば良いのですよね?なるほどの人になることが天理教だと言うことより大事なような気がします。
勝手な解釈です、もっと勉強しま~す。
それで、良いと思います
では、天理教の、なるはどの人は、どう言う人でしょか
天理教での、なるほどの人は、一般社会のなるほどの人
の、一段二段と数段上の人を表すと思います
思うこ事が思うようになり
天然自然の神の法則を得とくし
自由自在の理を見せられる人です
先人の先生方には、そう言った方が、多くいらっしゃいました。
そう言った先生方の中で、昭和の時代で、私が
なるはど人と言える人は、一人います
天理教愛町分教会、初代会長、関根 豊松氏です
地球が、誕生して46億年、全ての物は、助け合い
で、生まれてきました。
私たち人間も助け合って、生きてきました。
親神様は、助け合いのできる、ようきづくけの世界
をのぞんで、います。が、人間は、自分のじかを、
だし、われさいよければと、人が人を殺して、きました。 親神様は、天保9年より、教祖に天下り、
この世の真実を明かされました。
人間は、皆助け合って、行かなくては、いけないのです、それが、大自然の法則で有り、天の理なのです
私たちは、まず最初に、身の回りの人を、たすける事
が大事なのです、自分の妻や夫、子供、親戚と、
そして、他の人えと、にをいが、おたすけを、するのです yoshiさん、あせらないで、一つ一つやらせて、頂きましょうね
神の子も、一つ一つと、やってます。
コメント欄を掲示板みたいにしてしまってすみませんです。といいながら書き込む、、、
神の子さんへ
ありがとうございます。丁寧な回答に感謝しています。
真意を十分受け取っているかはこれからの通り方で証明させてもらいたいと思います。
いろいろ書きたい言葉が出てこない、、、
おやさまの前に出させていただいた先人の先生方のようです。↑そのような話しがありましたよね。
聞かせて頂いているので、まずは夫婦、家族からということは、十分分らせて頂いているんですよ。
分っていながら、くせ性分でなかなか素直になれない優しい言葉をかけてやれない自分です。(いつもいつもは難しいです)
(にをいがけで)外で勉強して、家で本番。
主人はむずかしいとは言いましたが、もしかして、ちょっとしたことで、じつは簡単なことなのかもしれないなって思います。
分りました♪
焦らず、一つひとつやっていきますね。
ありがとうございました。