にをいがけからはじめよう

おみちに引き寄せられて25年。
落ちこぼれようぼくだけど精いっぱいのにちにち。

必死になった

2013年11月11日 20時30分28秒 | にをいがけ・おたすけ

上級教会の帰り道、今日もコンビニの裏。
一戸建ての戸別訪問だ。

西日の強い夕方の木枯らしの中は
ある意味、気持ちが良かった。
季節を感じる中の歩きは本当に気分がいい。

10軒だけと思っていたが、あまりに風が冷たくて、、、
「やっぱ3軒にしようかな・・・・・」なんて、弱気になってしまう。
はじめると、カラダが動く。
思ったよりも在宅者があった。

インターホンを押してから、どのくらい待ってますか?

お留守かなと思ってとなりに移動し始めたら、
玄関のドアが開くってのはよくあることだ。
小柄なおばあちゃんが立っていた。
首元を押さえて、風邪をひかないようにのことだと思った。

いま医者から帰ったばかりで、着替えていたところだという。
私は自分でインターホンを押していながら、
出てきてくれると寒い中なので、申し訳ないと思ってしまう。
医者に行ってきたというので、おさづけのお願いをした。
ていうか、小さなおばあちゃんが急に愛しくなって、

「おさづけさせてください!」
といいながら、勝手に玄関の門をあけようとガチャガチャとやりだす。
開かない、、、、、、複雑になっている。

3分で終わります。
今日だけ!一回だけでいいから
おさづけをさせてください!

おばあちゃんは、
『今日は帰ってきたばかりで忙しいから
またゆっくり来てください』
と。
私も必死だったけど、おばあちゃんも必死だった。笑

近いうちにまた来ます。
そう言い残し、あとにした。
歩くのが困難らしい身上だと言っていた。


親が喜ぶこと

2013年11月09日 19時31分12秒 | 他のおみち話

『夫婦で信仰をしているからって、
主人が信仰をしているとは限らないよ』

そう夫婦家族の信仰になっている方がおっしゃっていて、、、

ふむふむ。。。。

そうかもしれない。
厳しいものがあるが。

そうかもしれないが、夫婦の信仰の中身はともかく
夫婦の信仰にならせていただくと、親が喜んでくださるよね。
それが嬉しいじゃないですかねー。
親を喜ばせることができて、うらやましいです~~~。

 

 


花売りさんとのひょんな出会い。

2013年11月08日 19時46分11秒 | にをいがけ・おたすけ

一昨日のことです。

チャリで教会からにをいがけとペダルこぎ。
アップダウンがきびしい歩道。
車道へ出て走るには、向こう岸の左側へ渡らなくてはいけない。


疲れたから、チャリを押して歩くことにした。
その直後、「お花はいかがですかー」と、声をかけられた。
お花を自転車のかごにのせて、行商をしてるご婦人さん。
手作りのパンジーやビオラ、観葉植物、ラベンダーなど。。
お買い得なのはわかるよー、欲しかったし。

けど、持ち合わせがなくて、、いまこういうものに
お金を出している余裕はない。なので、断るのが苦労でしたが、
やっとの思いで断った。断りたくなかったけど、断った。

「いま仕事中で、、これもって歩くわけにもいかないので」
『なんかの販売ですか?』
「あたしは天理教の布教師(つい弾みで言っちゃったよー)です。カクカクシカジカ・・・」
『点滴?私と同じだ』ポツリと言う。聞き間違いされた。

「点滴をしているんですか」
聞くと、婦人科系の身上とのこと。今年の6月に手術をしたばかりで、
まだ外来に通っている。調子がいいとお花を売って歩いてます、とのこと。
大変だー。
好きなことでもカラダが辛いと横になってばかりになるだろう。
辛いだろうな。。。寒い時とか。


なぜかおさづけのお願いをしなかった。できなかった。
ビビっていたのか。出会わせていただいたってことは
お助けをさせてもらえるんだって忘れていた?
家のあたりは聞いたし、名前も来ているので
訪ねてみたい人でした。

 

 

今日は大きな行事があって、ひのきしん。眠いです。
おやすみなさい。


知らない人と話すことは「ひらめき」をきたえるらしい。

2013年11月08日 18時50分16秒 | にをいがけ・おたすけ

午前中は会活動。

午後は昼食後、自宅からチャリで戸別訪問。
買い物の予定があったので、
その前に途中で誰かとお話ができたらいいなってことだ。

全体で4人の在宅者。最初の家のおばあさんと長いこと。
となりが林なもので日陰になりやすい、と見た。
3時ころに日陰だった。
首に手ぬぐいをかけて割烹着を着て、まさしく”現役な”おばあちゃんだった。
「お元気そうで。。現役って感じですね」(´∀`)
とつい思うがまま口に出す。

ちょっと勉強になるようなやりとりがあった。
おばあちゃんいわく、
『先のことは考えなくていいから、
今のことだけでいいのよ』と強く言う。
『たとえば樹木が目に見えているのは、今の自分なんだ。
みえない土の中はご先祖様。ご先祖様などのおかげで
今自分がこうしている。今だけを考えていればいい』ということ。

そこで私はちょっとだけ反論した。
自分の通り方は、自分だけのものではなくて
子供や孫のためでもあるってこと。自分のためだけに生きてない。
自分の通り方が2代目3代目につながっているのだから
毎日を精いっぱい通りたいし、そんなにちにちを積み重ねていきたい。
そんなことを言わせてもらう。

 

おばあさんの言うことは違っていないのかもしれないが
おばあさんのお道のイメージは、最悪みたいだ。

誰かの為に財産を投げうって自分らが犠牲になって
家族崩壊、どっかへ行ってしまった人たちを見て知っているから、て。
自分に出来ないことはしなくてもいいと言ってくれる。
私は拝殿奉仕の御用をしている癖(?)で
ついつい相手の話を聞いてしまう体制に入る、、、なので、

上のやり取りで私がきっぱりとおばあさんの言うことを否定したから、
宗教の人と話をしていると言いっこになっちゃうのよー的な
感じに言ってまして、、、、笑っていたけど。
私はそんなつもりはないけど、
マイルドなおばあさんはお年の割には強かった。笑
現役は強し!!!

週末にはお孫さんが(高校生)遊びに来るんだって。
大きな孫が遊びに来るくらいなら、おばあさんの孫育ては
いい線いっているんだと思わせていただいた。

30分くらいここで過ごし、戸別を回って買い物先へ。

 

おや?!文章が消えている時がある!!!

気を付けないと、思ってもいない文章のままアップされる!!

 


あのおばあさんは、教理的な話はむずかしいと言って
耳を素直に傾けてくれなかったけど、私の信仰の元一日である
夫婦仲の話にはおおいに共感してくれたのには、新鮮だった。
こういうおばあさんもいるのだ。
教理的な話と現実的な自分の話と、
両方話す心構えで歩かせて頂いた方がいいんだなって思ったー。
あと切り替えですかねー。