にをいがけは川越に行かせてもらってきた。
菓子屋横丁の団子屋さんで団子を5本買った。
お土産用2本ずつと今の私のお昼用1本だ。
川越のダンゴはココと決めている。
一本50円になっていた。前は40円だったよなー。
50円のほうがおつりも渡しやすいのかもね。
まだ温かい団子は、いつ食べても美味しい!!
教会でoyomeと教友に渡した。ご夫婦でどうぞ。
川越みやげです。笑
今日は菓子屋横丁の道挟んだ前の大蓮寺のご近所の住宅を
回らせていただいた。大蓮寺はまったく意識はしていなかった。
「突き当たりにお寺があるなぁ」くらい。
戸別ではやっぱりお休みの日とあって
男性の方がインターホン越しでお断りに。
ほとんどそんな感じだった。
2つ目くらいの路地に入った奥に大蓮寺の正面が見えていた。
断られながら進んでいく中に、後ろに下がったとき
小さなおばあさんが通りかかったので、すかざずお声をかけた。
「こんにちは」って。誰でも、とにかく話がしたかったの。
自分は天理教のお声かけをさせてもらっています、と。
おばあさんは手押しの荷車(?)を押してて、
『私は大蓮寺のばあさんですよ』とおっしゃる。
「大蓮寺のおばあさんですか?住んでいるんですか?」
『そうですよ。大蓮寺のばーさんだよ。』
「そーでしたか。今は何代目さんが継いでいるんですか」
「大蓮寺さんのご利益は、どんなことなんですか」
とか聞いてしまう。
『天理教さん?天理教さんならご存知でしょうけど』
と勉強をしているでしょうけどいう言いっぷりをされてしまった。
決していやみではなく、こっちの勉強不足でした、すみません、と
自然に言えるようなやさしいおばあさんだった。
声はとても張っていて、パワーを感じた。
浄土宗である大蓮寺は、川越のこのあたり一帯を皆さんが
明るく正しく安心して生活が出来るようにお念仏を唱えて下さって
いるのだとか。川越はお寺が多い。市民は護って頂いている。
「天理教も川越には教会がけっこうあるようですよ」と私。
『そうですか。』
お互い様に皆さんのために頑張りましょうね、という感じで
言っていただいた。
狭い路地をおばあさんの歩みに私が身をちぢめて
話しかけながら連れ添って歩く感じだった。
往還道に出る前に、言って下さった。
『護られていますから。一生懸命に生きてくださいね』
「はい!」
お道のいう護られていることと浄土宗の護られているは
同じなのかなと一瞬思ったので、「何に護られているんだ?」と
小さく口に出してしまう。
もうね。何にとか関係ない。見えない力に私たちは日々
護っていただいているのよ!!!「何に?」とか
どうでもいいんだ。(自分で言っておきながら・・・・)
そんな大きな心にならせていただけてしまうおばあさんだった。
90歳半ばくらいかなーーー。もっと話が聞きたかった。
私に言って下さった、あの言葉は大事にしたい。
『護られていますから。一生懸命に生きてくださいね』 か、、、
信仰者のいうセリフだわーーー。
元気をいただけたなぁぁ。
ただ話をしているだけで、相手を元気にしているなんて。。
あのとき、おばあちゃんに引き寄せられちゃったのかもね。
おやさまなのか、あちらさんの神様なのか・・・
それとも一緒か?