にをいがけからはじめよう

おみちに引き寄せられて25年。
落ちこぼれようぼくだけど精いっぱいのにちにち。

喜べば喜びごとが喜んで

2018年05月08日 08時29分51秒 | にをいがけ・おたすけ

昨日は月に一度の親の理をいただく
ありがたい一日だった。
正座が多かったせいか今日は朝から
足がだるくて重い、、、、、
歩き通しも疲れるんでしょうけど
歩かなさすぎも良くないんだよ。

雨は上がったけど、また降ってくるんでしょう。

午前中になんとか、、、、、、

 

 

 

 

もっと喜んで歩かせていただきたい。
義務のような『せねばならない』的な感情で歩いても
その心を神様は引き受けてしまうので、マズイ。

ただ『使命感』となると違うんだと思うから
『ようぼくとしての使命』として、、、、そして
勇めないときや勇気が出せない瞬間もあるから
そんなときは『御礼なんだ』と確認させてもらって
また一歩を踏み出せる。

そのくり返しなんだと思う。

 

19日は初参拝の日なので、思い出すようにして
迷わないで、、、心を迷わせないように今日も
なにか面白いことはないかな、楽しいことないかなの精神で、
歩かせていただきたいものです。

 

 

そんなこんなの私も誰かとバカ話をして
お腹の底から爆笑したいといつも思っている。

意外と思いは深いのだよ。不快のほうか?笑

 

 

 

 

 

 


信仰者の言葉

2018年05月06日 15時47分35秒 | にをいがけ・おたすけ

にをいがけは川越に行かせてもらってきた。
菓子屋横丁の団子屋さんで団子を5本買った。
お土産用2本ずつと今の私のお昼用1本だ。

川越のダンゴはココと決めている。
一本50円になっていた。前は40円だったよなー。
50円のほうがおつりも渡しやすいのかもね。
まだ温かい団子は、いつ食べても美味しい!!

教会でoyomeと教友に渡した。ご夫婦でどうぞ。
川越みやげです。笑

 

今日は菓子屋横丁の道挟んだ前の大蓮寺のご近所の住宅を
回らせていただいた。大蓮寺はまったく意識はしていなかった。
「突き当たりにお寺があるなぁ」くらい。


戸別ではやっぱりお休みの日とあって
男性の方がインターホン越しでお断りに。
ほとんどそんな感じだった。

2つ目くらいの路地に入った奥に大蓮寺の正面が見えていた。
断られながら進んでいく中に、後ろに下がったとき
小さなおばあさんが通りかかったので、すかざずお声をかけた。

「こんにちは」って。誰でも、とにかく話がしたかったの。
自分は天理教のお声かけをさせてもらっています、と。
おばあさんは手押しの荷車(?)を押してて、
『私は大蓮寺のばあさんですよ』とおっしゃる。
「大蓮寺のおばあさんですか?住んでいるんですか?」
『そうですよ。大蓮寺のばーさんだよ。』

「そーでしたか。今は何代目さんが継いでいるんですか」
「大蓮寺さんのご利益は、どんなことなんですか」
とか聞いてしまう。

『天理教さん?天理教さんならご存知でしょうけど』
と勉強をしているでしょうけどいう言いっぷりをされてしまった。
決していやみではなく、こっちの勉強不足でした、すみません、と
自然に言えるようなやさしいおばあさんだった。
声はとても張っていて、パワーを感じた。

浄土宗である大蓮寺は、川越のこのあたり一帯を皆さんが
明るく正しく安心して生活が出来るようにお念仏を唱えて下さって
いるのだとか。川越はお寺が多い。市民は護って頂いている。


「天理教も川越には教会がけっこうあるようですよ」と私。
『そうですか。』
お互い様に皆さんのために頑張りましょうね、という感じで
言っていただいた。

狭い路地をおばあさんの歩みに私が身をちぢめて
話しかけながら
連れ添って歩く感じだった。
往還道に出る前に、言って下さった。


『護られていますから。一生懸命に生きてくださいね』
「はい!」

お道のいう護られていることと浄土宗の護られているは
同じなのかなと一瞬思ったので、「何に護られているんだ?」と
小さく口に出してしまう。

もうね。何にとか関係ない。見えない力に私たちは日々
護っていただいているのよ!!!「何に?」とか
どうでもいいんだ。(自分で言っておきながら・・・・)

そんな大きな心にならせていただけてしまうおばあさんだった。
90歳半ばくらいかなーーー。もっと話が聞きたかった。
私に言って下さった、あの言葉は大事にしたい。

 

『護られていますから。一生懸命に生きてくださいね』 か、、、

信仰者のいうセリフだわーーー。

元気をいただけたなぁぁ。

 


ただ話をしているだけで、相手を元気にしているなんて。。
あのとき、おばあちゃんに引き寄せられちゃったのかもね。
おやさまなのか、あちらさんの神様なのか・・・

 

それとも一緒か?

 

 

 

 

 


コメントを読みあさった

2018年05月06日 10時11分43秒 | 他のおみち話

連休最終日ですね。
朝から家事をふつうのことをやっつけて、
コメントを読ませてもらってました。
今の自分を勢いづけてくれそうな気がしたから。

たくさんの方に支えられて今の私がいる。
ネット上ではあったけど、たくさんご丹精をいただきました。

ありきたりな表現ですけど、本当にコメントを読ませてもらうと
思う言葉は、「ありがたかったなぁぁ」しかない。
私のブログのモテ期だったんでしょうかねー。
ずっと読んでお付き合いしてくださっている方は
分かっていただけると思う。

練りあいも出来るくらいたくさんの方が
このブログ上でコメントだけど、語り合っていたんです。
ありがたいじゃないですかね。。。。。
みなさん、お元気なんでしょうか。

近況とか教えて頂けたらうれしいな。

そんなこんなで脳みそがパンクしそうなくらい熱くなった。
めちゃくちゃフルに回転したようで疲れたみたい。
いい刺激に鳴らせていただけた!!
今日のにをいがけに生かしたい。

 

 

もう10時だけどけっこうな陽気。
これから支度して川越まで行けたら行きたい。
途中で気が変わってもいいと思うし。。

が、井の頭五郎さんじゃないけど、急に思い出したように

『腹がへった・・・・・』

どうなるかわかんないですが。

 

yoshiもいい加減なようぼくになりました・・・・・笑
時期的にも中だるみをしている。
19日はわたしの初参拝の日なんですよ!!!
所属教会に初めて参拝に訪れた日!!
第二の誕生日とでもいいましょうか。。
天理教に導かれた尊い日。なんか嬉しい日です。

この日に意味を持たせて感謝で通りたい。

 


こどもの日だから思案できた

2018年05月05日 16時47分23秒 | 意識改革

過去のこどもの日の記事を探してみたけど
記事にしていないようだ。日記には書いていると思う。
そんなのいつものことなんだけど、、

5月ってにをいがけにあまり勤しんでいなかったのか
勤しんでいたから、ブログに書く元気がなかったのか。
それは考えられる、、、私の性格だと。。雑なので。

 

今日も歩けていない。午前中は教会に参拝して
会活動の用事をちょっとさせてもらって、、、
2回出たり入ったりした。

oyomeちゃんはおたすけの方のことをやっていた。
長男もいた。私の尊敬する先生の拝殿で
お話をしてもらっていたので、あとで聞いてみよう。

 



こどもの日だけど、長女はお仕事。
次男はさっきやってきて、友達とお釈迦様に行くという。
これは恒例の次男の行事となっててもうずっと続いている。
友達は変わっているのかもしれないけどね。
次男のことなんで、もしかしたら同じ旧友かもしれない。
そういう子だから、、、、

再び修養科のお声を拝殿でちょっとだけかけて頂く。昨日。

まだ私はその気になっていない。
情なんでしょうが、やっと今の生活を努力をして
築いている次男なので、
簡単に環境を変えられないだろうと。

 

そうか、、、、、神様に働いていただくってことは
ガッチガチに毎日何時間もにをいがけに歩きまわって
子供にも毎日のように押せ押せの話をして
ぐいぐい押し込んでいくことではないんだな。
分かっているさ。分かっているけど簡単じゃないことでしょ、
修養科生を出すと言うことは。
めっちゃくちゃ大変なエネルギーを集約しないとだし
生半可な気持ちでは出せないのが修養科。
本人も回りも。


でも子供にお声をかけて、それなりに話をして、
とはこちら側の裏づけ。その先は神様。
文章にすると簡単なものだ。

 

理さえ積んであったら簡単なことなのか。

にちにちの理作りさえしっかりしてあったら、、、
働いてくださることなのかなと。
そういう世界なんだってことも分かってますよ。
信仰24年も経てば、そりゃそういう世界だって
ことも分かります。でも、分かっていない。

それななぜか。

分かっていない気持ちがあるのは自分が神様を
信じていないから。おやさまを信じていないから。
神様に働いて頂きたいと思いながら、
信じきれていないんだろうなーーーー自分は。
「信じたい」と『信じている」は別物ですからね。

 

歩いていないときも、
歩いていないなりに
いろんなこと振り返れますわ。

まさしくこどもの日だから。

 


ご近所さんまわり

2018年05月03日 20時54分13秒 | にをいがけ・おたすけ

今日も午後から歩かせていただく。
午前中は思いがけずに理の親から
理をたくさん頂戴しました。

意識改革、自分の中では浸透しているつもりだったけど
親から、、神様からみたらまだまだ序の口でして。
もちろんそうなんだけど、努力ですね。

 

教会近くの某スーパーに車を停めさせてもらって
徒歩で教会まで行く途中の戸別をさせてもらった。
ちょっと思考を変えてみた。

近所に天理教の教会があることをご存知なのかなって
そこから入っていって、ご近所なのでもし良かったら
見学に来てみませんか、、、、とか

ご近所なので、みなさんお元気なのかなと
御用聞きに回らせていただいています、、、とか。

そういう言葉かけは浮かばせてもらえるんだけど。


みなさんご近所さんには優しい傾向があるみたい。
『何かあったら』とか『ありがとう』とか。。。
『けっこうです!!』などと突き放すような言い方はしてない。

10軒回って、半分のご在宅。祝日なのでピンポンしにくかったり
の傾向もあるんだけど、勇気を出しちゃえばわりかし大丈夫。

 

 

昨日の理の親の言葉、
記録しておかないとどんどん忘れてしまうのだよ。。
今からでも日記に書いておこう。