実は今週の休みの日に国立病院に入院している人のお見舞いに行ってきた。
33歳で肝不全。
危篤状態から意識が戻って話が出来るようになったとの連絡をご両親から受けていってみることにした。
その人の父親が10数年前に同じ症状で移植手術をしても助からなかった経緯がある。
本人は私を目の前にして気丈に振る舞っていたがその不安たるや目が物語っていた。
キビシイなと…
飲食店を切り盛りしている男なので、早く復帰したいと何度も訴えていた。
別れ際に、一日でも早く復帰して俺にカクテル作ってくれよ待っているよ握手して別れた。
キビシイなと…
これが最後かもしれないと…
彼がわずか15分程度の面会時間に沢山のことを教えてくれた。
今日一日が当たり前に迎えられることの有難さ。
明日が当たり前の様に来るとは限らないということ。
何としてでも生きてやる!という姿勢…
自分ののんびりさ加減に張り手された気分。
目が覚めた、というわけではないが生き方の見直しはし始めた。
死を見つめてみる。
終わりが来る確実に…
それを見据えて何度も考えながら生きていく。
今は関係を断っているが、同級生の日蓮宗系の僧侶にいつか言われたことがある。
「お前はさあ、今生きていることが当たり前の事だと思ってるんだろう?」
「お前は、明日死ぬわけがないと当たり前の様に思ってるんだろう?」
こんなことをボソッと言われた。
あの時のショックが思い出された。
ヨシッ!生きてやるっ!なんでも経験してやるんだ!
あとどのくらい生きられるのか分からない、それはみんな一緒だ。
終わりを意識して今を一生懸命生きていく。