前回の記事で紹介させて頂いた1943年4月と7月の写真
これを元に実車はどうなっていたのか!?検討してみます
1943年4月
同年7月
まず、車体側から
1)第一転輪の外側ホイール...4月、7月とも左右有り
2)操縦席のペリスコープ孔...開いている
3)前部の予備履帯ラック...棒状でジャックルの穴に通している、そのため予備履帯が若干上っている
4)ボッシュライト...4月撮影時は左右とも有り、7月には左右とも無し
5)左側のサイドフェンダー...7月時点では全て付いている
6)Sマイン発射機...4月は右後部が、7月は右前部が確認できる
7)車体前部上のスコップ...無し、替りに何か分からないが工具とその留め具が付いている
7月の写真では、師団マークが例の下駄をひっくり返した形に替わって
倒福の横に移動していますよね
あと細かいところでは、予備履帯の数が4月は12枚あったのに、7月は11枚になっていたとか(笑)
砲塔関連は
8)発煙弾発射機...4月撮影時は左側のみ、7月には左右とも無くなっている
9)キューポラの傘立て基部...写真では確認できず
10)後部の雑具箱...他の写真に有り、キットと形・大きさが違っている
前部正面からだけなので、後部がどうなっているのかは分からないのですが
修正または取付を選択する箇所が、ざっと見ただけでコレだけ有ります
それぞれ検討してみると
1、4~6、8はパーツを取り付けるか否かの選択で済みます
2は穴を開けるだけですが、場所が場所だけに目立つのでかなり気を使いそう
3は合う棒状の材料が見つかるかどうかが肝かな
7はどんな工具なのか、もうちょっと調べてみる必要が有ります
9の傘立て用の筒は、有ったとしてもちょうどフィギュアのお腹の辺りに来るのでちょっと💦
問題は10の雑具箱です
これはドラゴンのTiki号では再現されているそうなのですが、側面のハッチに被る程大きくて
自作か、又はかなりの改造が必要となるのでワタシには無理っぽい(^^;
取り敢えず、1~6、8はどうにかなる
7、9は後付け可なので、ちょいと調べてみてからでしょうか
問題は10ですねぇ
ここは心境にコペルニクス的転回があればチャレンジする?と云う事にしました(笑)
さて第一転輪の外側を付ける...のですが
その前に蓋?担っているB16のパーツを捥ぎ取らなくては( ̄▽ ̄;)
ニッパーで力業です
で、付けました
捥ぎ取った後が少々歪んでいようと隠れて見えませんから(^^;
Sマインを車体後部に付けました
最後部の角に付ける部分は、組説では分かり辛かったです
砲塔の発煙弾発射機は右側を撤去し左側を付けました
コマンダーキューポラの取っ手を付けるのを忘れていました(^^;
ペリコープ孔を開け、予備履帯フォルダーの棒を付けた状態です
フォルダーの棒は、エバーグリーンのプラ棒を使いました
ジャックルの向きを反対にし、止めナットが履帯側にくるようにしてプラ棒を接着しています
ペリスコープ孔は手回しドリルで開けました、ちょっと位置が上になっていますが💦
ボッシュライトは左右とも取っ払いました
かと言って、1943年7月撮影写真のようにしようと云う訳では有りません
その7月と前の4月の撮影時の間、つまり証拠写真の無い期間を再現?しようとしているのです
証拠が無いので誰も突っ込みようがない!?
史実に忠実だ、そうでないと誰が証明できる(笑)
要は究極の検証不可能TIGERを作ろうとしているのです
まぁ元々は、お色気フィギュアを乗せようと始めた事ですしねぇ~
『それでイイのだ~(^^♪』
【どうでもいい話】
BundesarchivにSoretz上級曹長がPeichl曹長からワインと思しき瓶をプレゼントされている写真
恐らく世界に流通しているこの写真の、原版では無いかと思われるものが公開されています
こりゃあいいもん見つけたワイ\(^0^)/と、当Blogで紹介させて頂こうと思ったのですが
ところがどっこい、この連邦公文書館、かなり利用規則が厳しい💦
何かとキビシイと云われるIWMよりはるかにキビシイと思われます
それがどれだけかと云うと、翻訳ソフトで読んだ限りですが
私的利用、商業利用に関係なく、必ず使用許諾の申請をしなければならないのです!
しかもプレビューでも借りたものは、必ず返せと(;'∀')
どうやって返すのか?恐らく消去しろという事ではないかと思うのですが?
IWMが、私的利用なら編集不可だけどIWMからの転載表示をする事でオッケーだった(確か💦)のに対し
これはちょっとどころでは無いくらいハードルが高すぎます(^^;
そんな訳で転載は止めリンクだけ貼っておきますので、覗いてみたいと思った方はどうぞご自由に
見るだけはタダ、ですから(笑)
【続く】
これを元に実車はどうなっていたのか!?検討してみます
1943年4月
同年7月
まず、車体側から
1)第一転輪の外側ホイール...4月、7月とも左右有り
2)操縦席のペリスコープ孔...開いている
3)前部の予備履帯ラック...棒状でジャックルの穴に通している、そのため予備履帯が若干上っている
4)ボッシュライト...4月撮影時は左右とも有り、7月には左右とも無し
5)左側のサイドフェンダー...7月時点では全て付いている
6)Sマイン発射機...4月は右後部が、7月は右前部が確認できる
7)車体前部上のスコップ...無し、替りに何か分からないが工具とその留め具が付いている
7月の写真では、師団マークが例の下駄をひっくり返した形に替わって
倒福の横に移動していますよね
あと細かいところでは、予備履帯の数が4月は12枚あったのに、7月は11枚になっていたとか(笑)
砲塔関連は
8)発煙弾発射機...4月撮影時は左側のみ、7月には左右とも無くなっている
9)キューポラの傘立て基部...写真では確認できず
10)後部の雑具箱...他の写真に有り、キットと形・大きさが違っている
前部正面からだけなので、後部がどうなっているのかは分からないのですが
修正または取付を選択する箇所が、ざっと見ただけでコレだけ有ります
それぞれ検討してみると
1、4~6、8はパーツを取り付けるか否かの選択で済みます
2は穴を開けるだけですが、場所が場所だけに目立つのでかなり気を使いそう
3は合う棒状の材料が見つかるかどうかが肝かな
7はどんな工具なのか、もうちょっと調べてみる必要が有ります
9の傘立て用の筒は、有ったとしてもちょうどフィギュアのお腹の辺りに来るのでちょっと💦
問題は10の雑具箱です
これはドラゴンのTiki号では再現されているそうなのですが、側面のハッチに被る程大きくて
自作か、又はかなりの改造が必要となるのでワタシには無理っぽい(^^;
取り敢えず、1~6、8はどうにかなる
7、9は後付け可なので、ちょいと調べてみてからでしょうか
問題は10ですねぇ
ここは心境にコペルニクス的転回があればチャレンジする?と云う事にしました(笑)
さて第一転輪の外側を付ける...のですが
その前に蓋?担っているB16のパーツを捥ぎ取らなくては( ̄▽ ̄;)
ニッパーで力業です
で、付けました
捥ぎ取った後が少々歪んでいようと隠れて見えませんから(^^;
Sマインを車体後部に付けました
最後部の角に付ける部分は、組説では分かり辛かったです
砲塔の発煙弾発射機は右側を撤去し左側を付けました
コマンダーキューポラの取っ手を付けるのを忘れていました(^^;
ペリコープ孔を開け、予備履帯フォルダーの棒を付けた状態です
フォルダーの棒は、エバーグリーンのプラ棒を使いました
ジャックルの向きを反対にし、止めナットが履帯側にくるようにしてプラ棒を接着しています
ペリスコープ孔は手回しドリルで開けました、ちょっと位置が上になっていますが💦
ボッシュライトは左右とも取っ払いました
かと言って、1943年7月撮影写真のようにしようと云う訳では有りません
その7月と前の4月の撮影時の間、つまり証拠写真の無い期間を再現?しようとしているのです
証拠が無いので誰も突っ込みようがない!?
史実に忠実だ、そうでないと誰が証明できる(笑)
要は究極の検証不可能TIGERを作ろうとしているのです
まぁ元々は、お色気フィギュアを乗せようと始めた事ですしねぇ~
『それでイイのだ~(^^♪』
【どうでもいい話】
BundesarchivにSoretz上級曹長がPeichl曹長からワインと思しき瓶をプレゼントされている写真
恐らく世界に流通しているこの写真の、原版では無いかと思われるものが公開されています
こりゃあいいもん見つけたワイ\(^0^)/と、当Blogで紹介させて頂こうと思ったのですが
ところがどっこい、この連邦公文書館、かなり利用規則が厳しい💦
何かとキビシイと云われるIWMよりはるかにキビシイと思われます
それがどれだけかと云うと、翻訳ソフトで読んだ限りですが
私的利用、商業利用に関係なく、必ず使用許諾の申請をしなければならないのです!
しかもプレビューでも借りたものは、必ず返せと(;'∀')
どうやって返すのか?恐らく消去しろという事ではないかと思うのですが?
IWMが、私的利用なら編集不可だけどIWMからの転載表示をする事でオッケーだった(確か💦)のに対し
これはちょっとどころでは無いくらいハードルが高すぎます(^^;
そんな訳で転載は止めリンクだけ貼っておきますので、覗いてみたいと思った方はどうぞご自由に
見るだけはタダ、ですから(笑)
【続く】
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