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1970年代に集中する複数での拉致・失踪(R4.12.22)
令和4年12月22日木曜日「荒木和博のショートメッセージ」第882号。
アベック・親子・友人など複数の人が一度に拉致されたり失踪する事件は1970年代に集中しています。
偶然と考えるのはちょっと無理があります。
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拉致事件が多発していたのは1970年代でした。
wikiによると1977年に金正日は工作員に手当たり次第に外国人を拉致しろと命じています。
1973年12月頃:渡辺秀子さん(当時32歳)(工作員高大基と結婚・拉致後殺害されたか?)
1977年9月19日:久米裕さん(当時52歳)
1977年10月頃:松本京子さん(当時29歳)
1977年11月15日:横田めぐみさん(当時13歳)
1978年6月29日:田口八重子さん(当時22歳)
1978年6月頃:田中実さん(28歳)
1978年7月7日から8日:地村保志さん、濱本富貴恵さん(両人とも当時23歳)
1978年7月31日:蓮池薫さん(当時20歳)奥土祐木子(当時22歳)
1978年8月12日:市川修一さん(当時23歳)増元るみ子(当時24歳)
1978年8月12日:曽我ひとみさん(当時19歳)曽我ミヨシさん(当時46歳)
1979年頃:金田龍光さん(当時26歳)
1980年6月:松木薫さん(当時26歳)
1980年6月:石岡亨さん(当時22歳)
1980年6月頃:原敕晁さん(当時43歳)
1983年7月頃:有本恵子さん(当時23歳)
拉致された人は日本海沿岸だけでなく、各地で無理やりや騙されて北朝鮮に行き、帰って来れなくなっています。
上記の殆どは政府認定の拉致被害者ですが、認定されていない被害者がこの何十倍もいます。
さて1970年代の朝鮮半島はどんな状態だったのでしょう。
1973年には来日中の金大中氏が東京で拉致された事件がありました。
1974年8月15日には朴正煕暗殺未遂事件があり、朴氏の妻 陸英修さんが犠牲になっています。
そして1979年には朴正煕暗殺事件が起こっています。
あの頃の朝鮮半島はきな臭い事件が多発し、かなり混乱していたと想像します。
これも北朝鮮の韓国に対する工作、対南工作の影響が大きい様です。
そして朝鮮戦争の影響が日本の一般人の拉致に繋がり、それが今も続いているのです。
換言すれば拉致被害者の方々は時代に翻弄され、そして人生を滅茶苦茶にされたとも言えます。
政府は国民の命と財産を守る責務があるのですから
拉致被害者を取り戻せないのはその責務を政府が自覚していないとも言えます。
例えが悪いですが、刑の執行後、冤罪とわかれば国から補償金が受け取れます。
同じように政府は拉致被害者が帰国後にはそれなりの補償をすべきです。
それは莫大な金額になりそうですが、それが政府としての責務ですから当然です。
最近防衛費の為に増税は怪しからんとの意見がありますが、
拉致被害者が帰国後に補償金を払う事にも反対するとしたら、それは冷たいというものです。
ところが20年前に帰国した5人の被害者達には日々の生活費の援助はしているがそれ以外の事はしていないと聞きますが、
何とも政府の拉致問題に対する考えが冷たく、軽視していると思ってしまいます。