第3章 【伏兵と屍峠】
まだ薄暗い中、1000人を超えるランナーが一斉にスタートした。
100km…。
1000人だと10万kmか。
勇者かそれともバカか?
早朝の阿蘇路にランナーの足音が響き渡る。
スタートしてすぐは登りだが、やがて下り基調に変わり割と楽に走れる。
20km地点まではアップダウンはあるものの比較的に緩やかなのでここでタイムを稼ぐ必要がある。
目標は2時間以内だ。
ここで貯金しておかないと後半が苦しくなる。
調子は良い。私も軽快に飛ばす。
初チャレンジのランナーがやりがちな間違いがペース表作りだ。
アップダウンが多い阿蘇カルデラでは自分で設定したペース通りには走れない。
それができるのは一部のランナーだけだ。
走れるところは目一杯走り、歩くところは歩く。
これが阿蘇カルデラの走り方だ。
しばらく走ると、黄色のシャツを着た見覚えのあるランナーが目に入ってきた。
ラン友の矢野さんだ!
去年は無念のリタイアで今回、再挑戦だ。
追いついて話しかける。
先日、風邪を引いて治ったばかりで、本調子でないようだ。
健闘を祈り、先に行かせてもらった。
林の暗がりを抜け、南阿蘇谷へと降りていく。
太陽の日差しが眩しい。今日は暑くなりそうだ。
久木野の辺りで「カル友」メンバーの松田さんにあった。
100km初挑戦なので不安はあるようだが頑張っている。
私より速いペースで先に行ってしまわれた。
9.5km地点、最初のフードエイド。
ここには「そうめん」があるがまだ食べるのは早いのでパスする。
しかし、給水はすべてのエイドで必ずしなければならない。
スプリットタイムは1時間ちょっと。
スタート時のタイムロスを考えれば良い感じで来ている。
この調子でいかねば!
が、ここへきてお腹に少し違和感が発生した。
痛みの一歩手前といった感じ。
もともと私は腸が弱く、冷えると直ぐにお腹を壊す。
なので今日も対策として薄手の腹巻に使い捨てカイロを貼り付けて走っている。
冷えることはないのでお腹が痛くなるはずはないのだが…。
精神的なものだろうか?相変わらずメンタルは弱い。
嫌な感じではあるが、走りに支障があるほどではないので、スピードは落とさずそのまま走り続けた。
15kmの橋。
一昨年は悠長に記念写真を撮ったりして、リタイアの原因にもなった嫌な思い出の橋だ。
橋を渡り、南阿蘇鉄道の踏切を過ぎたあたりで、お腹の違和感が痛みに変わってきた。
「ま、まずい」
トイレは約10kmごとにしかない。
20km地点までなんとか持たさないと。
幸い激しい痛みではないので何とか走れる。
だが、いつ来るか分からないので気持ちは焦る。
まさかの伏兵だった。
国道325号に出た。
20km地点まであとわずかだ。
だがついに、そいつは現れた。
トイレが近づいたので気持ちが先走り、それが肉体にも影響を及ぼしたのだろう。
高森の町が遠くに見える。おそらく後1kmあまり。
もってくれ。
当然スピードは落とさざるを得ない。走りも内また走りだ。
20kmのエイドが見えた!
あと少し。
エイドに到着、すぐにトイレに向かった。
運よく、入っていた人が出てくるところだった。
いちごマスクを脱ごうとしたら、こにラン友の森下さんがいた。
笑顔で挨拶をされたが、私はそれどころではないので、いちごマスクを脱ぎ、リュックを降ろしながら
簡単に挨拶をしてトイレに駆け込んだ。
「ふーっ、危なかった」
もう少し遅ければ悲惨なことになっていた。
体に冷たい汗が流れた。
私の場合、出すものを出せば痛みは治まる。これで安心のはずだ。
トイレを出て、いちごマスクを被り、エイドで水分とフードを補給。
かなり時間をロスしてしまった。貯金が帳消しだ、急がねば。
エイドを出て走り出したが、お腹の辺りに空洞が出来た様な感じで力が入らない。
走っているうちに今度は眠くなってきた。睡眠時間は足りてたはずだが何故だろう?
そのうち頭がボーっとしてきて少しフラつきだした。
「熱中症になったかな?」
そんなに暑いと感じていなかったが、腹痛の影響もあり体調がおかしくなっているのかもしれない。
『リタイア』
その言葉が頭に浮かんだ。
「こんな調子では完走は無理かもなぁ…」
まだ、5分の1くらいしか走ってないのにもう黄色信号が付いてしまった。
朦朧とした頭で色々考えながら走っていたら、「すみません」と後ろから声を掛けられた。
振り向くと、男性ランナーが「これ落としましたよ」と差し出したのは、いちごマンJr.だった!
リュックのベルトに付けて走っていたが、ヒモがちぎれて落ちてしまったのだ。
お礼を言って、いちごマンJr.を受け取った。
あ~何てことだ、大事な相棒まで落としてしまうとは!
悪夢から始まり、いちごマスクの損壊、腹痛と立て続けに悪いことが起きつづけ、とどめがこれか!?
天はついに私を見放したのかーーーー!
もうリタイアは確定か?
いやまて、そうじゃない、いちごマンJr.は戻ってきたではないか。
自分も苦しい中、他人が落とした人形を拾い、追いかけて届けてくれる人はそうはいない。
あれはきっと神の使いだったのだ!
そう、これは暗雲から一条の光が差し込んだのだ!
もう大丈夫、これから先は悪いことは起こらない。自分を信じ、力の限りに走れば完走できる!
そう私は確信し、力強く前を見据えて走り続けた。
やがて、前半最大の難所「黒岩峠」の登り口に着いた。
坂の手前にエイドがあるが、水が底を尽きかけていた。
今から急な坂を登るのに満足な水がないとは、後から来る者たちは悲惨な目に合うことだろう。
登り始めたが、ここは走らずに歩くしかない。
走ることが出来るのは一部のエリートランナーだけだ。
つづら折りの坂をランナーたちが黙々と歩いていた。
みな、首をうなだれ、腕をダラリと下げて精気のない顔で歩いている。
こ、これはゾンビの群れだ!
そうここはランナーをゾンビにしてしまう屍峠なのだ!
恐ろしい、早くここから逃げ出したいが。峠の魔物に足をつかまれ遅々として進まない。
そんな時、はるか上の方から私の名を呼ぶ声がした。
「ま、まさか魔物が呼んでいるのか?」
恐る恐る上を見上げると、オレンジ色のシャツを着た森下さんが満面の笑顔で両手を振っていた。
登り坂が大好きな森下さんは、この魔の峠を楽しんでいるようだ。
私もその元気を貰おうと精一杯手を振って応えた。
そしてようやく魔の峠を登りあがった。
周りのランナーたちは恐怖から解放され、歓声をあげるもの、大きくため息をつくもの
峠の標識と記念写真を撮るものと様々だ。
みんな良く頑張った!
ゾンビからランナーに戻り、再び走り出した。
(次回、第4章【ブンタちゃん】へ つづく)
注:文中、私以外の方の氏名は仮名です。
ほぼ事実ですが、一部脚色、記憶のあいまいさから事実と違ったり、
場面が前後している場合があります。
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まだ薄暗い中、1000人を超えるランナーが一斉にスタートした。
100km…。
1000人だと10万kmか。
勇者かそれともバカか?
早朝の阿蘇路にランナーの足音が響き渡る。
スタートしてすぐは登りだが、やがて下り基調に変わり割と楽に走れる。
20km地点まではアップダウンはあるものの比較的に緩やかなのでここでタイムを稼ぐ必要がある。
目標は2時間以内だ。
ここで貯金しておかないと後半が苦しくなる。
調子は良い。私も軽快に飛ばす。
初チャレンジのランナーがやりがちな間違いがペース表作りだ。
アップダウンが多い阿蘇カルデラでは自分で設定したペース通りには走れない。
それができるのは一部のランナーだけだ。
走れるところは目一杯走り、歩くところは歩く。
これが阿蘇カルデラの走り方だ。
しばらく走ると、黄色のシャツを着た見覚えのあるランナーが目に入ってきた。
ラン友の矢野さんだ!
去年は無念のリタイアで今回、再挑戦だ。
追いついて話しかける。
先日、風邪を引いて治ったばかりで、本調子でないようだ。
健闘を祈り、先に行かせてもらった。
林の暗がりを抜け、南阿蘇谷へと降りていく。
太陽の日差しが眩しい。今日は暑くなりそうだ。
久木野の辺りで「カル友」メンバーの松田さんにあった。
100km初挑戦なので不安はあるようだが頑張っている。
私より速いペースで先に行ってしまわれた。
9.5km地点、最初のフードエイド。
ここには「そうめん」があるがまだ食べるのは早いのでパスする。
しかし、給水はすべてのエイドで必ずしなければならない。
スプリットタイムは1時間ちょっと。
スタート時のタイムロスを考えれば良い感じで来ている。
この調子でいかねば!
が、ここへきてお腹に少し違和感が発生した。
痛みの一歩手前といった感じ。
もともと私は腸が弱く、冷えると直ぐにお腹を壊す。
なので今日も対策として薄手の腹巻に使い捨てカイロを貼り付けて走っている。
冷えることはないのでお腹が痛くなるはずはないのだが…。
精神的なものだろうか?相変わらずメンタルは弱い。
嫌な感じではあるが、走りに支障があるほどではないので、スピードは落とさずそのまま走り続けた。
15kmの橋。
一昨年は悠長に記念写真を撮ったりして、リタイアの原因にもなった嫌な思い出の橋だ。
橋を渡り、南阿蘇鉄道の踏切を過ぎたあたりで、お腹の違和感が痛みに変わってきた。
「ま、まずい」
トイレは約10kmごとにしかない。
20km地点までなんとか持たさないと。
幸い激しい痛みではないので何とか走れる。
だが、いつ来るか分からないので気持ちは焦る。
まさかの伏兵だった。
国道325号に出た。
20km地点まであとわずかだ。
だがついに、そいつは現れた。
トイレが近づいたので気持ちが先走り、それが肉体にも影響を及ぼしたのだろう。
高森の町が遠くに見える。おそらく後1kmあまり。
もってくれ。
当然スピードは落とさざるを得ない。走りも内また走りだ。
20kmのエイドが見えた!
あと少し。
エイドに到着、すぐにトイレに向かった。
運よく、入っていた人が出てくるところだった。
いちごマスクを脱ごうとしたら、こにラン友の森下さんがいた。
笑顔で挨拶をされたが、私はそれどころではないので、いちごマスクを脱ぎ、リュックを降ろしながら
簡単に挨拶をしてトイレに駆け込んだ。
「ふーっ、危なかった」
もう少し遅ければ悲惨なことになっていた。
体に冷たい汗が流れた。
私の場合、出すものを出せば痛みは治まる。これで安心のはずだ。
トイレを出て、いちごマスクを被り、エイドで水分とフードを補給。
かなり時間をロスしてしまった。貯金が帳消しだ、急がねば。
エイドを出て走り出したが、お腹の辺りに空洞が出来た様な感じで力が入らない。
走っているうちに今度は眠くなってきた。睡眠時間は足りてたはずだが何故だろう?
そのうち頭がボーっとしてきて少しフラつきだした。
「熱中症になったかな?」
そんなに暑いと感じていなかったが、腹痛の影響もあり体調がおかしくなっているのかもしれない。
『リタイア』
その言葉が頭に浮かんだ。
「こんな調子では完走は無理かもなぁ…」
まだ、5分の1くらいしか走ってないのにもう黄色信号が付いてしまった。
朦朧とした頭で色々考えながら走っていたら、「すみません」と後ろから声を掛けられた。
振り向くと、男性ランナーが「これ落としましたよ」と差し出したのは、いちごマンJr.だった!
リュックのベルトに付けて走っていたが、ヒモがちぎれて落ちてしまったのだ。
お礼を言って、いちごマンJr.を受け取った。
あ~何てことだ、大事な相棒まで落としてしまうとは!
悪夢から始まり、いちごマスクの損壊、腹痛と立て続けに悪いことが起きつづけ、とどめがこれか!?
天はついに私を見放したのかーーーー!
もうリタイアは確定か?
いやまて、そうじゃない、いちごマンJr.は戻ってきたではないか。
自分も苦しい中、他人が落とした人形を拾い、追いかけて届けてくれる人はそうはいない。
あれはきっと神の使いだったのだ!
そう、これは暗雲から一条の光が差し込んだのだ!
もう大丈夫、これから先は悪いことは起こらない。自分を信じ、力の限りに走れば完走できる!
そう私は確信し、力強く前を見据えて走り続けた。
やがて、前半最大の難所「黒岩峠」の登り口に着いた。
坂の手前にエイドがあるが、水が底を尽きかけていた。
今から急な坂を登るのに満足な水がないとは、後から来る者たちは悲惨な目に合うことだろう。
登り始めたが、ここは走らずに歩くしかない。
走ることが出来るのは一部のエリートランナーだけだ。
つづら折りの坂をランナーたちが黙々と歩いていた。
みな、首をうなだれ、腕をダラリと下げて精気のない顔で歩いている。
こ、これはゾンビの群れだ!
そうここはランナーをゾンビにしてしまう屍峠なのだ!
恐ろしい、早くここから逃げ出したいが。峠の魔物に足をつかまれ遅々として進まない。
そんな時、はるか上の方から私の名を呼ぶ声がした。
「ま、まさか魔物が呼んでいるのか?」
恐る恐る上を見上げると、オレンジ色のシャツを着た森下さんが満面の笑顔で両手を振っていた。
登り坂が大好きな森下さんは、この魔の峠を楽しんでいるようだ。
私もその元気を貰おうと精一杯手を振って応えた。
そしてようやく魔の峠を登りあがった。
周りのランナーたちは恐怖から解放され、歓声をあげるもの、大きくため息をつくもの
峠の標識と記念写真を撮るものと様々だ。
みんな良く頑張った!
ゾンビからランナーに戻り、再び走り出した。
(次回、第4章【ブンタちゃん】へ つづく)
注:文中、私以外の方の氏名は仮名です。
ほぼ事実ですが、一部脚色、記憶のあいまいさから事実と違ったり、
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