人生悠遊

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鎌倉を知る ーー円覚寺と『円覚経』ーー

2021-05-29 14:02:40 | 日記

『円覚経』という経典の名が『吾妻鏡』に出てくるのは和田合戦で和田一族が滅亡した後ではないでしょうか。まず『吾妻鏡』の建暦三年(1213)十二月三日の条に、将軍家(源実朝)寿福寺に御参、仏事を修せしめたまふ。これ左衛門尉(和田)義盛以下の亡率得脱のためと云々。同じ十二月に建暦から建保に改元され、同月二十九日に、将軍家、御自筆を染めて、日頃円覚経を書写せしめたまふ。今日供養の儀あり。導師は荘厳房行勇。そして三十日に、昨日供養の経巻をもって、左衛門尉義村に仰せて三浦に遣わし、海底に沈めらると云々。御夢想の告あるによってなり。

そして時代は下り、文永・弘安の役を経て弘安五年(1282)十二月八日、無学祖元を迎えて円覚寺が開山されました。円覚寺発行の冊子『円覚寺』(貫達人 著)によれば、寺号の円覚寺の由来は、寺地選定の後、この地から石櫃にはいった円覚経を掘り出したことによるといわれているとあります。

さて和田合戦や元との戦いで戦死した人の霊を、敵味方の区別なく供養するためのお経として『円覚経』がでてくるのですが、これまでどんな有難いお経なのか知らないで過ごしてきましたので少し勉強してみました。

『華厳の思想』(鎌田茂雄 著)には、『円覚経』は華厳宗の第五祖・宗密禅師(780-840)がその哲学を樹立した。『円覚経』は人間の心の本体を明らかにする経典であるが、中国の仏教でもっとも重視されたお経である。円覚は一切の根源であり、悟りの当体である。円覚とは鏡のような清らかな心の本体をいう。鎌倉の円覚寺はその名をこの『円覚経』からとっているのである。

さらネットで検索した曺 潤鎬氏の論文はもう少し詳しいので引用させていただきます。

『円覚経』は8世紀の初めに中国で成立した。宗密が深く関わっている。正式には『大方向円覚修多羅了義経』。「円覚」とその成就について説くことを目的としている。無明・幻の滅によって実現されたさとりとされる。そのさとりに至るには、特別な方法や段階的修業などは必要なく頓悟頓修を基本的立場とする。端的に表明すれば「衆生本来成仏」とする。この「本来成仏」は術語として『円覚経』ではじめて用いられた。

まだまだ論文は続くのですが、どうもこの「本来成仏」(衆生そのものがもともと成仏していて仏である)がキーワードでしょうか。この考え方であれば、修業する機会もなく戦死した人の菩提を弔えますし、亡くなった中国人の魂も救えます。源実朝や無学祖元はそう考えたかもしれません。

 

 

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