江ノ電の極楽寺の駅を出て稲村ケ崎方面に向い、江ノ電の車庫の先を右に折れ、踏切を渡ってすぐのところに『十六夜日記』の作者である阿仏尼住居跡があります。
『十六夜日記』の「東日記」には、「あづまにてすむ所は、月影のやつとぞいふなる。浦ちかき山もとにて風いとあらし。山寺のかたはらなれば、のどかに、すごくて、浪のおと、松の風たえず。」と書かれており、阿仏尼は鎌倉での訴訟に臨むため、極楽寺の近くに居を構えたことがうかがえます。
今その場所を訪ねてみると江ノ電の線路のすぐ近く、紫陽花目当ての観光客で満員の電車が通り過ぎて行きます。息子のためとはいえ、遠く京都から鎌倉まで下ってきた母 阿仏尼の思いは・・・。ただ当時の極楽寺は多数の堂塔が立ち並ぶ大寺院でしたので、人の往来は今以上に多かったかもしれません。
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