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1月15日から3月8日までの会期で「出雲と大和」特別展が始まりましたので、昨日早速に出かけました。なんと日本書紀成立1300年の記念展だとのこと。昨年末は「神社ツウ」というガイドのために古事記や日本書紀を勉強していましたので丁度良いタイミングでした。因みに日本書紀は、編纂されたのは養老四年(720)で、天武天皇の子である舎人親王を編纂代表として撰進された国史です。その時代の天皇は持統天皇、文武天皇、元明天皇、元正天皇の頃で、文武天皇以外は女帝です。大変興味深い時代なのでいつか別にブログに載せたいと思っています。
そして以前、このブログに梅原猛の『神々の流竄』(1970年発表)について書き、その後に『葬られた王朝 古代出雲の謎を解く』(2010年発表)を読みました。読んでみて驚いたのは、梅原猛が『神々の流竄』で主張した自説「出雲には王朝はなく、奈良盆地を舞台にしたものである」を、『葬られた王朝』のなかで間違っていたと訂正したことです。なぜ訂正したのか?それは『神々の流竄』を執筆した後に、出雲の荒神山遺跡で380点以上の銅剣、銅鉾、銅鐸が発見(1984・85年)され、さらに加茂岩倉遺跡で39個の銅鐸が発見(1996年)されたことです。この発見により記紀に書かれ、長い間神話と考えられていた世界(オオクニヌシの国譲りなど)が、歴史上の出来事(出雲王権の存在とその滅亡)と考えられるようなったからだと思われます。
この考古学上の大発見の展示物が見られるのがこの特別展です。見逃すわけにはいけません。出雲大社の心御柱と宇豆柱、出雲大社の模型、数々の銅剣、銅鉾、銅鐸、勾玉などの装飾品、埴輪、石上神社の七支刀、奈良市天理の黒塚古墳で発見された三角縁神獣鏡等々。出雲と大和に関係する展示品を一挙に見れる機会はもうないでしょう。妄想がどんどんと膨らみ、あっという間に3時間位経っていました。
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