川端康成の小説で何が一番記憶として残っているか?と問われれば、『古都』と答えます。書き出しの数行の文章が見事に映像として記憶されているからです。
もみじの古木の幹に、すみれの花がひらいたのを、千重子は見つけた。「ああ、今年も咲いた。」と、千重子は春のやさしさに出会った。(一部略)大きく曲る少し下のあたり、幹に小さなくぼみが二つあるらしく、そのくぼみそれぞれに、すみれが生えているのだ。そして春ごとに花をつけるのだ。千重子がものごころつくころから、この樹上二株のすみれはあった。
この『古都』にあるすみれと円覚寺をどう結びつけようとしているのか?そのキーワードは、大光明宝殿に安置されている宝冠釈迦如来坐像、京都栂ノ尾にある高山寺の開山明恵上人、その明恵上人が森の中に一輪のすみれの花を見て、すみれの花のなかに宇宙の秘密を見いだそうとしたこと。そして国宝の「明恵上人樹上坐禅像」の構図です。
共通するのは『華厳経』で、その「一即多」の思想です。「一即多」というのは、名もなきもの、微小なるもののなかに無限なるもの、偉大なるものが宿っているという考え方です。そして『華厳経』は、偉大なる時間と空間を超えた仏(廬舎那仏)を説いた教えであり、その仏は雑華をもって飾られます。さらにあらゆる衆生に仏性がそなわっているという「性起説」において、臨済禅の世界と共通します。これで何故に円覚寺の大光明宝殿に宝冠釈迦如来坐像(廬舎那仏)が安置されているか、まだまだ深める必要がありますが、少し分かったような気になりました。
さらにもう一つ。ウイキペディア情報で恐縮ですが、川端康成を見ていましたら、氏は鎌倉幕府の三代執権北条泰時の子孫であるとのこと。北条泰時は承久の乱の後、高山寺の明恵上人と親交があったと書いてありました。ここからは妄想の世界になりますが、『古都』の樹上の二輪のすみれの描写のアイデアは、明恵上人のすみれの花の話と、明恵上人樹上坐禅像から発想されたかもしれませんね。華厳の世界観のように無限に妄想が広がって実に愉快です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます