『貞観政要』(守屋洋 訳 ちくま学芸文庫)のなかで紹介されていたことばです。唐の太宗のことばではないのですが、太宗の「何代無賢(何れの代にか賢なからん)」ということばの解説のなか、訳者が人材招致の極意の参考になることばとして補足していました。
この「隗より始めよ」は聞いたことがありますが、正確な意味は知りません。どうも中国の戦国時代、燕の昭王に仕えた師傅・郭隗のことばだそうです。これを広辞苑で調べますと、出典は『戦国策』。内容は、「郭隗が燕の昭王に対して賢者を招くためには、まず自分のようにさほど優秀でないものを優遇せよと進言した故事から、遠大な事をなすときは、まず卑近なことから始めよ。転じて物事は、まず言い出した者が着手すべきであるという意」とありました。
また郭隗は人材招致の極意について次のことばを遺しています。
「礼をつくして相手に仕え、謹んで教えを受ける。これなら自分より百倍すぐれた人材がまいります。相手に敬意を表し、その意見にじっと耳を傾ける。これならば、自分より十倍すぐれた人材が集まってきます。相手と対等にふるまう。これでは自分と似たり寄ったりの人間しか集まってきません。床几にもたれ、杖をにぎって横目で指示する。これでは小役人しか集まりません。頭ごなしにどなりつけ叱りとばす。これではもはや下僕のようなものしか集まってきません」
最近のパワハラ上司や経営者に聞かせたいことばです。下僕のような社員しかいない会社は潰れるのが必定。相手をリスペクトする気持ちを忘れずにいたいものです。
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