6月4日(土)。京都の等持院に行きました。等持院は嵐電の等持院駅から歩いて5分位の所にある足利将軍家歴代の菩提所で有名なお寺です。実は私はこの等持院から徒歩10分の所に昨年まで4年半ほど住んでいたのですが、今回が初めての拝観。鎌倉に戻って中世史の勉強をして、はじめてお寺の来歴を知った次第。情けなくなります。もったいないことをしました。
この等持院は暦応4(1341)年、足利尊氏が天龍寺の夢窓国師を開山に迎えて創建したお寺。霊光殿には足利尊氏が念持仏として信仰した利運地蔵尊と足利歴代将軍像と徳川家康像が安置されています。どうして家康像が一緒に安置されているか不思議に思いましたが、寺の案内を見て納得。実は石清水八幡宮豊蔵坊にあった家康42歳の厄除け霊験を受けた像が廃仏毀釈の時にこの等持院に移された由。鎌倉の鶴岡八幡宮も同じですが、神仏習合の神宮寺は廃仏毀釈で大変な目にあったようです。そしてここにある十数体の将軍像は見応えがあり一度は見ておきたいものですが、三代足利義満公の像だけがほかの将軍像と違い、金閣寺を建て室町幕府絶頂期の将軍そのものといったお顔でした。
庭園は夢窓国師の作と伝えられています。方丈の北庭の苑池である「心字池」、書院から望む「芙蓉池」があり、この時期はサツキやショウブの花が咲いていましたが、秋になれば紅葉が美しく目を楽しませてくれると思います。また方丈北の中央には足利尊氏の墓である宝篋印塔がありました。台座の正面には足利尊氏の享年である延文三(1358)年四月の文字があるようです。鎌倉の覚園寺もそうですが、明治になり大塔宮護良親王を殺害した足利尊氏は逆賊となり、足利尊氏ゆかりの寺は排斥されたと思いますが、等持院はどうだったのでしょうか。
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