人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

鎌倉を知る ーー広町緑地の大桜(令和3年)ーー

2021-03-19 16:41:56 | 日記

ブログ開設2000日記念の第2弾。今日(3月19日)に訪ねた広町緑地の大桜の開花状況を報告します。管理事務所の掲示板には昨日時点で三分咲きとありました。やはりこの時期になると開花状況が気になるもので午前中に行くかどうか迷いましたが、午後に思い切って行って正解でした。ここ数日暖かいが続いていましたので開花がいっきに進んでいるようです。毎年見ている花なので見れなかったときの悔しさは尋常ではありません。なんとも貧乏性で情けなくなります。

この気持ちは私だけではありません。新潮日本古典集成『金槐和歌集』に源実朝が詠んだ歌がありますが、いつの時代も人の心は同じです。

 三月のすゑつかた、勝長寿院に詣でたりしに、ある僧、山かげにかくれるを見て、「花は」と問ひしかば、「散りぬ」となむこたへ侍りしを聞きてよめる

 83 ゆきて見むと 思ひしほどに 散りにけり あやなの花や 風立たぬまに

校注者である樋口芳麻呂の解説では、実朝は桜のことが心配で、勝長寿院の境内に入る前に見かけた僧に尋ね、散ったと聞いて落胆し、軽く桜を恨んで詠んだ即興歌であるとありました。

今日も広町緑地から出た入口付近で散歩の老夫婦に大桜の開花の様子を尋ねられました。幸い「散りぬ」と言わざるを得ない開花状況ではなく、楽しんでくださいと伝え別れました。このコロナ禍で花見は極力控えるようにと言われていますが、広町緑地での観桜は問題ないでしょう。周りにはウグイスの鳴き声くらいしか聞こえてきません。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鎌倉を知る ーー六地蔵ーー

2021-03-19 12:20:19 | 日記

3月17日に彼岸の入りとなり20日が春分の日。暑さ寒さも彼岸までという言葉がありますが、陽気も春めき、何か心がウキウキする季節がやってきました。新型コロナの非常事態宣言も21日には解除されますが、ワクチンが行き渡るまでは何か安心できません。そしてオリンピックも本当に開催できるかどうかも気がかりです。

さてお彼岸らしいブログを書きたいのですが、自粛期間中では岐阜まで墓参りに行くことも出来ず、なんとも鬱々とした日々を過ごしています。

写真は由比ガ浜通りにある六地蔵です。地元の方がいつも綺麗に掃除し、六体の地蔵様にも帽子や前垂れを作って着せています。今年はコロナ対策を意識して赤いマスクをしている姿が愛らしく感じられます。道端にいるお地蔵様は庶民的。如来でも菩薩でもなく声聞形、お坊さんの形をしており、錫杖を持った姿は民衆により近いところにいて慈悲を施してくれます。お寺に行けなくても、路傍のお地蔵様に手を合わせ、亡くなった方や現世の救済を祈る身近な仏です。

『かまくら子ども風土記』によれば。この六地蔵は、鎌倉時代、この場所から少し北に行ったところに飢渇畠と呼ばれた刑場があり、この刑場跡に、罪人の霊を弔うために地蔵をまつったのがはじまりと書いてありました。今では地域の安全や交通安全のための祈りの場になっていますが、新たに新型コロナの終息を願う疫病退散も大事なお勤めになっているようです。

さてこの場を借りてもう一つ。実は本ブログは2015年9月27日に開設してから2000日目の記念号になります。投稿した記事数は592件。ざっと計算して3~4日に一本のペースで書いていることになります。1ブログの文字数は大凡1000字くらいですから、50万字以上でしょうか。多い少ないの評価はともかく、やはり「継続は力なり」ですね。このGooブログの利用者数は昨日で300万ブログを突破した模様。気になる順位は1~3万位の間を行ったり来たり。ほとんど場所的には鎌倉周辺、時代は中世史に特化したこのようなマニアックなブログを見ていただけるとは・・・。ブログを書くのが楽しく大変ありがたく感謝です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

富士山を望み1333年にタイムスリップ!!

2021-03-14 17:11:55 | 日記

今日は3月14日。昨日の春の嵐から一夜明けて快晴の朝を迎えました。富士山も真っ白で今シーズン一番の雪化粧の姿。こういう日は滅多にないので鎌倉山からの富士山を撮影するために散歩にでかけました。写真はその1枚。この写真を撮っていたら親切な地元の人から貴重なお話を伺うことができました。場所は七里ガ浜東5丁目公園の上。この公園があった場所は住宅地が造成される前は沼地だったとか。さらに鎌倉山の給水塔の下には滝があって修験道の行者は滝行をしていたとか。自宅には住む前から井戸があり今でも現役で洗車の水に利用しているとか。足もとの小道のように区切られた場所は古くからある古道で七里ガ浜から鎌倉山にぬける道だったとか・・・。話は尽きず昭和30年頃の話をいろいろ教えていただきました。

さてこれからが本番。まず吉川英治歴史時代文庫『私本太平記(五)』からの話。第五巻は丁度、新田義貞の鎌倉攻め、鎌倉幕府滅亡の巻です。そのなか《稲村ケ崎》にまさにこの地が出てきます。極楽寺坂を攻めあぐねている新田義貞の軍勢。三木俊連の一勢が行合川の本陣から密かに田鍋谷を通り長谷山から極楽寺の北条方の背後をつくために今の鎌倉山を登っていきます。もしかしたら先ほどの古道を通ったかもしれません。七里ガ浜東5丁目公園あたりが沼地だったとすれば、行合川から山すそを通ればこのあたりに出ます。そして今の鎌倉山神社のあたりから長谷山に出たのでしょう。地元の方の話では、このあたりには掘れば骨とか刀などが出るということ。

次は「那智の滝」の話です。こんな場所に滝があったなんて信じられませんが、井戸があるということからすれば、鎌倉山に地下水脈があり、崖の縁から水が湧きだし滝があっても不思議ではありません。実際にそこで水行をしている写真もありますので昭和30年頃までは滝があったのでしょう。滝の下は聖福寺公園。その先の極楽寺への道筋には熊野権現社の祠もあります。この辺りは鎌倉の熊野信仰の地であったかもしれません。

今では何も残っていない七里ガ浜の住宅地にこれほど歴史を感じさせる場所があるとは・・・。新田義貞の鎌倉攻めは旧暦の五月。今日のように鮮明な富士山は見えなかったかもしれませんが、ひょっとしたら噴煙の上がる遠くの富士山が見えたかもしれません。なんとも不思議な思いがしました。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポルトガルワインを試す ーー⑥パッション・レゼルヴァーー

2021-03-12 09:48:20 | グルメ

今回はポルトガル南部のアレンテージョ地方のワイナリー「カーザ・サントス・リマ」生産のワイン《パッション・レゼルヴァ》です。このワイナリーのワインは以前《フォルティッシモ・ティント》で紹介しています。アレンティージョはリスボンに流れるテージョ川のかなたという意味。パッションは英語でも同じ情熱的、レゼルヴァは貯蔵されたという意味です。価格は税込1,210円なのでかなりリーズナブル。がぶ飲みOKのワインです。カタログでは、赤い果実やバニラを思わすリッチなアロマ、細かいタンニン、ソフトな飲み口とあります。度数は13%なので、以前飲んだ《フォルティッシモ・ティント》と比べても軽めです。コルク栓ではないのでレジャーでのバーベキューにはいいかもしれません。

さてここからはポルトガルの理解を深めるための妄想の世界。今回はポルトガル語と隣国のスペイン語との違いを妄想してみました。とはいっても両方の言葉に触れるのは今回がはじめてなので、両言語の初歩の会話本からスタートです。まずは幼児レベル。アルファベット、数、曜日、月の名、季節、簡単な挨拶などを比較して違いを探りました。アルファベットは文字はほぼ同じですが発音は微妙に違います。数は殆ど変わりません。曜日は土曜日と日曜日は同じですが他は全く違います。月の読み方は1月は異なりますが、他の月はなんとか通じます。季節はほぼ同じです。「おはよう」とか「こんにちは」などの挨拶は全く違います。これらから推測ですが、どうも交易に必要な言葉、教会に関係する言葉は共通しており、挨拶などの日常生活で使う言葉は違っているようです。残念ながらそれがどうしたと言いたくなりますね。まだまだです。

さてポルトガルワインを飲んでその国の文化を理解しようとはじめたこの企画ですが、目的を達するには先は遠く、開けたボトルの本数がまだ足らないようです。次はどのワインにしましょうか・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

追悼 震災10年

2021-03-11 20:12:08 | 日記

2021年3月11日。あの東日本大震災から10年が経ちました。やはりあの日は忘れてはならず、記憶に残すためにブログを書きました。改めて亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

かく言う私も東北地方とは無縁でなく、母親が今のいわき市四倉の生れ、半分は東北人の血が混ざっています。四倉は福島原発のある双葉町の近く、叔父の家は津波の被害にあっています。10年経ったからといって亡くなられた方の事を忘れてはいけません。思い出すことが大切です。

その日、私は京都で仕事をしていました。京都でも大きく揺れて会議を中断し、すぐにテレビをつけました。画面には津波が押し寄せる様子、車が吞み込まれる様子、石油タンクが爆発し燃える様子、東京電力の福島原子力発電所が被災する様子などが次々と映されていました。被災地や東京の自宅では停電で見れなかったかと思います。直ぐに自宅に電話しましたが、当然のように繋がりません。家族の安否が確認できたのはかなり時間が経過した後。神奈川の自宅に戻れたのは数日後。家族からは敵前逃亡と言われる始末で、何とも情けない日々を送りました。自宅に帰っても計画停電で真っ暗。信号は消えて交差点では譲り合って通過する始末。それでも秩序だった行動には関心したものです。

10年前のこの震災は終わったのではなくまだ続いていると、今日の追悼式で天皇陛下のお言葉にありました。再び東北地方に来るのか、首都直下型か、富士山の噴火か、東南海沖地震となるのか、東京オリンピックやコロナ禍の陰で忘れがちですが、一瞬にして22,000人以上の人が亡くなった大災害を忘れることなく、十分な備えをしておく必要があります。

それにしても最近の国会周辺で起きている体たらくを見るにつけ情けなくなります。大丈夫か日本。なんとかして欲しいのですが。愚痴でした・・・。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする