木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

鬼、河童に濁流の水飲まされるー12

2007年03月23日 | 一九じいさんのつぶやき
 見物人が声の方向に目をやると、船頭が屋形船を緩い流れに沿うようにゆったりと漕いでいた。声の主はと見ると、商人風の年かさの男がのんびりした様子で釣り竿を手にしている。
 「おまえさんがた、そんなに大勢集まって何を見てなさるね?」
 男が間延びした口調で大きな声を出した。
 「河童だぁ」
 熊三が更に大きな声で返すと、
 「河童とな?」
 男の不思議そうな声が戻ってきた。
 「河童騒ぎを知らねえとは、江戸っ子とも思えねえな」
 留助が首をひねった。
 「ああ、話には聞いたことがある。あれが、この辺りとは知らなかった。ここで河童が出るというなら、あたしが釣ってみせましょう」
 舟上の男は面白そうに竿を出した。
 「おいおい、邪魔をするんじゃねえよ。そんなことをしたら河童が逃げちまうじゃねえか」
 瓦版の十平衛が忌々しそうに舌打ちした。
 「こんなことで逃げてしまうような河童なら、もともと出てはきませんて。なあ船頭さんよ」
 「もっともで」
 船頭は、
 「それ河童よ、出てこい、出てこい」
 櫨で水面を叩き始めた。
 「あいつらめ」
 怒ったのは十平衛である。
 「てめえら、そんな勝手な真似は承知しねえぞ。このみの屋十平衛を怒らせてみろ。おめえら、二人とも水の中に叩きこんでやる」
 十平衛は、立ち上がって怒鳴った。
 「怖い、怖い。でも、どうやってここまで来なさるね」
 「見くびるな。俺の泳ぎは河童にも負けねえ」
 そう十平衛が啖呵を切ったところで、
 「河童、河童」
 熊三と留助が両脇から十平衛の脇を引っ張った。
 「ええい、うるせい。河童がどうした。俺の泳ぎはだな」
 「だから、河童」
 熊三が指さした方向を見て、
 「ひぇぃ」
 今までの威勢はどこへやら、十平衛は意気地なく、へたりこんでしまった。
 そこには緑色の奇妙な生き物が桶の中に首を突っ込んでもぞもぞしていたのである 
 「なんだあれは」
 見物人の間にもざわめきが起こったが、誰一人近づこうとはしない。
 そのうち、河童とおぼしき生き物は、川に入水した。
 河童はぐんぐんと屋形舟の方へ向かっていく。
 「おおい、河童がそっちへ向かったぞ」
 見物人の中から声が上がった。
 舟の上では船頭が緊張の面もちで櫓をふりかざして固くなっていた。
 さきほどの釣り男は、障子の奥に隠れてしまっている。
 河童は全く水しぶきをあげないまま、舟に近づいていく。
 「ぶつかる」
 熊三が思わず叫んだとき、河童は舟の下に潜り込んだ。
 船頭は櫓をふりかざしたまま心配そうに辺りを見回していたが、しばらくして櫓を降ろすと、
 「消えちまった」
 と、呟くように言った。