木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

鬼、河童に濁流の水飲まされる- 5

2007年03月05日 | 一九じいさんのつぶやき
「誰だ」

と、突然聞かれても何と返答していいのやら分からない。
「通りがかりの者です」
と答えるのもどうか、などと躊躇していると、

「まあ、いいから入れ(へえれ)」

と、再び声が掛かった。

俺だって物書きの端くれだ。
これくらいでひるんだら、プロじゃない。
不安半分、好奇心半分で門をくぐることにした。

いざ家の引き戸を開ける際に、臆病風にふかれたが、

「何をモタモタしてるんでぇ。俺は気がなげえほうじゃねえ。早く、入(へえ)れ」

中からかかったいささか苛ついた声に背中を押された。

家の中は和風かと思いきや、和洋折衷の趣で、声の主は、パソコンが置かれたデスクの前の回転椅子に座っていた。白髪交じりの髪は短く刈り込んでいて、黒ぶちのめがねをかけている。めがねの中の目は細く、その分といっては語弊があるのかも知れないが、大きな耳をしていた。きつく結んだ口のせいで全体に頑固そうな雰囲気を漂わせている。

「案山子じゃあるめえし、何を突っ立ってるんでぇ。適当に座んな」

俺は自分の中のファイティングスピリットに火がつくのを感じた。
(こうなったら、どうにでもなれ)
デスクの前にある炬燵に座ることにした。

「わっちを誰だか知っているな?」
「表札は見ました」
「それで?」
「重田さんという苗字ではないですか」
「そうだ。その名前に聞き覚えは?」
「私はフリーライターをしています。その職業につこうと思ったのが、偶然ですが、あなたと同じ苗字の作家でした」
「一返舎一九だな」
「よくご存知ですね」
「俺がその一九だ」
初老の男は真顔だが、偏執経かなにかかも知れない。俺は少し身構えた。
それでも、
「一九の子孫の方ですか?」
と、一応は質問を入れて見た。
「違う。俺がその本人だって言ってるんだ」
俺は急に醒めて行くのを感じた。
先程までは一万分の一の確率かも知れないが、夢の中にいた。
偶然立ち寄った先が一九の家系を継ぐ人物で、今まで誰も知らなかったような発見を得る、などという類の夢を見ていた。
しかし、夢は夢だった。
目の前の年寄りは、単なるフリークにしか見えない。
関わりになるのは時間の無駄だ。

「詰まらねえ」
初老の男は、ぼそっと呟くように言った。
「えっ?」
なぜか引き込まれるように、俺は言葉を返してしまった。
「詰まらねえ、って言ったんだ。おめえは物書きをしているって言ってたが、案外常識に縛られて常識の中でしか物を書けねえ奴だな。だから詰まらねえ物書きだ。人間としても詰まらねえにちげえねえ」
これには、俺もカチンと来た。相手がフリークだろうと、言うべきことは言う必要がある。
「私の書いたものも見ていないのに、どうしてそんなことが分かるんですか?」
「日本人も時代が下るに従って段々、頭の中も足りなくなるらしいな。分からねえなら聞かせてやるが、おめえは目に見えるものの中にしか真実はねえ、と思っている。頭で考えれば何でも分かると思っていやがる。自分の理解できねえことは、間違いだと思っている。十返舎一九は、とっくの昔に死んだ。物の本にもきちんと書いてある。第一、江戸時代の人間が平成の世の中に生きているわけがねえとハナから決め付けている。常識から考えて疑うところから始めている。これが小さい子供だったらどうだ。多分、今何歳ですか、とか、タイムマシンに乗ってきたの、とか、まず、肯定から話し始めるだろう。子供が非常識なのかもしれねえが、どちらが面知れえか、考えてみろ」
一理あるようなないような、話に俺の頭は翻弄されつつあった。