佐野駅まで、大川さんに迎えに来て頂いた。車で20分ほどで、大川さんの工房に到着。
大川さんは、職人仲間では有名な方で、「この人を知らなければもぐりだ!」と云われている。親分肌で面倒見の良さでは定評のある人だ。
私も、初めて大川さんを見たときは、会場内を大股で背筋をピンと伸ばし、悠然と歩く姿に平伏したものだ。
ここが大川さんの工房、「紺邑帝国」の根拠地だ。後ろに小高い山を背景に、白と茶色のコントラスト鮮やかな工房が建っている。
訳あって、お父さんの工房から独立し、(訳在ってというのは、大川さんのブログから推率するのだが)
バラック小屋のような工房から、一つ一つ積み上げて来た大川さんの生き様が詰まった工房である。
工房の裏には、この土地のシンボルである「梅の木」が立っている。
きっと、この梅ノ木の御霊が大川さんを呼び寄せたのだろう。
1500坪の土地の横には小さな沢が流れ、扇状地のような地形は3段に分かれている。
市街地の分譲地の様に整備された土地でなく、自然の荒々しさや優しさがそのまま残っている。
さて、工房の中に入っていくと、1階は藍染の作業場だ。
最初に、雑然とした光景が目に飛び込んでくる。私なども、作業場はあまり整理整頓されすぎていると、何となく居心地が悪いのだが、こういった動きが感じられる作業風景のほうが落ち着いてしまう。
奥に進んで行くと、ここが大川さん自慢の藍染の染め場である。
藍染の窯と云うのか?壷と云うのか?水槽がいくつも並んでいる。
こんな大きな水槽で染色するのは珍しいのでは無いかと思う。これは、糸染めだけでなく、幅広の厚手の布まで染めるために作ったようだ。
巾2メートル、床からの高さが40センチほど、だが、実際の深さは2メートル近くもある。人間がすっぽりと入ってしまうほどだ。
手を入れてみると、ぬるっとする。青い藍染液に手を突っ込んでも、手は青くならない、何度も何度も入れているうちに酸化して発色してくるのだろうか?
水槽の右奥に見えるのがヒーターで、水槽を暖めている。温度管理をしながら藍を育てているのだ。
私の仕事で云えば、漆を扱うのと似ている。漆も温度と湿度を調節してやらないと、死んでしまうのだ。同じ天然素材を扱う職人として、同じような苦労をしているのだと感じる。
つづく