竹細工と云っても、いろんな種類の作品がある。
精密に丹念に根気が要求される網代編みに対して、勢いとスピードと基礎技術を要求される荒編みとは、実に対照的である。
4月になり、昨年工房に入った「長岡さん」に荒編みの篭を教えている。
「長岡さん」とは、以前ちょくちょく、ブログにも登場している「由記ちゃんこと、お惚けちゃん」のことである。
この「長岡さん」と呼ぶのに、1年掛かってしまった。
最初の段階で、知り合いと云うか?慣れた雰囲気で入ってしまったので、いたる所で、お互いに友達感覚が出てしまうのだ。
これを本来の師匠と弟子の関係に戻すのに、1年掛かってしまった。
最近やっと通常の師弟関係が出来上がりつつある所だ。
この1年間、殆どヒゴ取りと網代のバッグの作り方だけに絞って教えてきた。
網代編みと云うのは、丁寧さと、精密な仕事の連続であるが、ある意味、時間さえ掛ければ覚えることが出来る物である。どちらかと云えば論理的な編み方である。
彼女も、この1年間かけて、何とか初歩の網代編みのバッグが出来るようになってきた。
ところが、今度教えている荒編みの花篭は、バッグよりうんと簡単なものであるが、感覚的な編み方である。ヒゴの取り方も、巾や厚みも揃えない!編む時も、編み上げたときのイメージと手加減が殆どである。
それと、スピードが要求される。
「今回はこの作品を50個作る」
「ひぇ~、50個ですか? あっ、はい」
「そう、50個だ。取りあえず、練習用の5~6個分のヒゴ取りをしろ」
「あぁ、はい」
同じ篭を50個も100個も作ったことが無いので、戸惑っている。
以前は、私の所でも年間1000個近く出る、花篭を10アイテムほど、作っていたのだが、時代とともに、大量に作る花篭は、殆ど売れなくなってしまった。
単価は安いのだが、弟子を育てる上で、同じものを何個も何個も作ると云うのが、物凄く基礎技術を付ける上で大切な事になる。
最初に出来上がって来たものは、それはそれは酷いものである。
5個とも、形も大きさも表情も違う、
その一つ、一つを何処が悪いのか?何処が違うのか?何故、こうなってしまったのか?解き明かしていく。
最初の5~6個分は、編み方を覚えるのが精一杯で、とても見れた物ではない。
最初は、自分の取ったヒゴの厚みなどが適しているか?確認する大事な作業である。
もう一度、練習用に5~6個分のヒゴ取りをさせる。
今度は、前回失敗した部分を確認しながら、編み上げていく。
同じことの、繰り返し繰り返しやり続ける事で、自然と体や手が覚えて行くのだ。
「どんな篭も、最低100個付くらんと覚えん!」と、昔の職人は言われていたものだ。
彼女の頭の中では、今までの常識では通用しない物ばかりなので、随分戸惑っている。
でも、体で覚えた物は一生付いてくるからね!。
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