高住神社公式ブログ

英彦山豊前坊高住神社の公式ブログです。

牛にまつわる話

2021年02月19日 14時35分56秒 | コラム

令和三年の干支は【丑】とあって、高住神社にとっては深く関わりのある干支の年。

境内を見回せば分かる通り、各所に牛の像が奉納されています。

よく天満宮とのつながりを質問されますが、神牛というキーワードが同じなだけで、信仰上の接点はありません。

豊前坊の神牛は、御祭神である「豊日別神(とよひわけのかみ)」の豊国開拓という御事績から、稔り豊かな土地であるよう農業繁栄・五穀豊穣の守護神として崇められ、そこから田畑耕作に使役する牛馬の健康安寧を農民が祈ったことに始まります。

つまるところ、開拓神=農業神=牛馬の守り神といった三段論法によって牛馬安全の信仰が生まれたわけです。

ここの牛たちは豊国の守護神の神使ということなのですね。

 

せっかくなので、境内にいる牛たちの写真を載せておきます。

青銅の神牛は一八三九年=天保九年(約一六○年前)に、ともに五穀豊穣、牛馬・家内安全を祈願して、田川郡の大庄屋六人が住民を代表して奉納したもの。

人畜の病める部分を振替えてもらうよう其の部分の膚をなでる風習あり。〈当社由緒書より〉

 

 

昭和四十九年七月三十日奉納、ホルスタイン像。

元は神馬像が建てられていたが、戦時中の銅供出により撤去されたという説あり。

その空いた個所に建てられたのがこのホルスタイン像で、近郷の酪農部会の手によって造られたセメント製神牛像です。

近年、酪農部会によ塗装の塗り替えや製作者のご子孫により清掃されるなど丁重に扱われているおかげで、半世紀近く前のものとは思えませんが、酪農家の方いわく、現代の乳牛と違い、寸胴で短い脚の旧品種だということから昔の作風と分かるようです。

 

農耕使役の家畜から畜産という産業の近代化によって、信仰形態に変化が生まれ、今日では酪農、精肉加工・販売業と畜産に関わる業種の方々の信仰を集めるようになりました。

 

こちらは平成後期に奉納された金属製の神牛像。

奉納者の言には、肩をおおう毛からまだ仔牛であるということ、また脚をたたみ伏せている姿から、これからの「成長」や立ち上がる「発展」を願う神牛として愛でられています。

 

この神牛にあやかり、鋳物で作られた「夢叶う神牛」が高住神社で人気の授与品のひとつとなっています。

最初に書いた事柄から、天満宮系の神牛でも、干支年限定の神牛像でもなく、御祭神にまつわる由緒を持った神牛像なのがお分かり頂けたかと思います。

(パッケージの反射で実物が見えづらくて申し訳ありません)

 

十二年に一度巡ってくる丑年と重なり着目を浴びたおかげで、一時は仕入れと生産が追いつかず欠品したときもありました。

通常授与品として日々出しておりますので、お求めの際は神社の成り立ちとともに覚えて持ち帰ってくだされば幸いです。

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《茅》の霊力と茅の輪くぐり

2016年07月24日 11時38分27秒 | コラム

備後国風土記による、武塔神(素盞鳴尊)が蘇民将来に授けた悪疫災禍から身を護る術が始まりとされていますが、数多ある草々の中でなぜチガヤが選ばれたのでしょうか。

―①チガヤの語源―

チガヤを古くは「チ」と呼び、赤い新芽から『血』、数多く群生することから『千』、さやに隠れた若い穂を噛むと甘味があることから『乳』、またアイヌ語の『キ』がなまったものなど語源には諸説ありますが、万葉集にチバナ・ツバナとして詠まれるなど古くから認知されていた植物だったようです。

カヤ(茅・萱)とはススキやスゲなどの総称であり、これらの植物は油分を含み耐水性に富むことから屋根材として用いられてきました。“刈って屋根を葺く”の意である刈屋、または上屋が“カヤ”の由来とされ、萱葺きはススキが主であり、ススキ(カヤ)と区別するためにチ=チガヤと呼ばれるようになりました。

 

―②《茅》の霊力と破邪の効果―

このありふれた草の代表ともいえるチガヤがなぜ特別視されたのか、中国の文献によると、天子が皇子への分領の際には地主神の土を茅に包んで分社させたことや、束ねた茅から酒を滴らせて地の神に供えたなど、古来よりチガヤが宗教的な儀式に用いられていたことが記されています。

植物に秘められた霊力・呪力を信じ、茅の霊性によって神聖なものを不浄から遠ざけ、魔を退ける効果を願ってこのように儀式に用いたのでしょうが、その葉状から辟邪の効果を期待したと考えられます。

昔話に、鬼が菖蒲を嫌ったことから端午の節句に欠かせない植物となった説話が登場します。鬼が剣状の葉を恐れた、あるいは目を突いたおかげで逃げきることができたという起源譚。茅は草の矛と書き、刃のような形状から菖蒲と同じように破邪の効果を持つと考えることもできます。また、赤い新芽が悪鬼を斬り調伏した証と想像できなくもないでしょう。

 

―③神話にみるチガヤ―

『日本書紀』巻第一には天鈿女命(アメノウズメ)が茅を巻いた矛を持って舞ったと記されていることからも、我が国でも神代より茅が特別視されていたことが伺えます。

そして旺盛な繁殖力。日本神話において草々の神を鹿屋野比売《かやのひめ》または草祖草野姫《くさのおやかやのひめ》といいます。水際に繁茂するアシから豊葦原と日本の美称がついたように、山野に広がる茅の野辺を神名としたのでしょう。別名を野椎神(のづちのかみ)といい、野つ霊(ち)の意から豊かに茂る霊力の源を茅に例えた訳です。チガヤの「チ」は「霊(ち)」に通じているのかも知れません。

 

―④民間にみるチガヤ―

③に見えるように茅を“巻く”行為にも意味があり、端午の粽(ちまき)は元来、茅で巻いたことから名づけられました。葉が細いために笹や菖蒲などにとって代わられたものの、こうした植物の薬効が保存に効くことを経験則から知っていたのでしょう、腐敗すなわち気枯れ(穢れ)を防ぐために茅での「祓え」に充てたのではないでしょうか。巻く行為には内にあるものを守る、外からの禍いを防ぐという意味が込められています。

 

―⑤茅の輪くぐりと禊(みそぎ)―

ひとしきりチガヤの説明を重ねたところで、いよいよ本題である「茅の輪」に移りましょう。

茅を束ねて輪にしたものをくぐることから輪越(わごし)、あるいは菅貫(すがぬき)と呼ばれていました。室町前期の家集・拾玉集には「夏はつる今日の禊の菅貫をこえてや秋の風は立つらん」という歌があります。菅を抜けるとはくぐるの意。菅とは植物のスゲのことで①で説明した“カヤ”に総じて含まれます。

夏越の祓は“水無月祓”ともいうように六月の晦日(つごもり)、最終日に行われるものでした。これは十二月に行われる年越しの大祓と対(つい)になるもの。陰暦において夏とは4月~6月の3ヶ月を指し、晩夏の納めに茅の輪をくぐると秋がやってくると詠ったのでしょう。徒然草第十九段には趣があるものに移りゆく季節として、夏の風情漂うものに六月祓が登場しています。宮中行事であった六月大祓が一般層にも浸透し、夏の風物詩と庶民に受け入れられていたようです。当時は夕刻に川辺で行っていたことからミソギの意味が込められていたのでしょう。

禊(みそぎ)とは海浜や川瀬など水で濯いで清めることですが、「身」についたケガレを「削ぎ」落とす行為でもあります。霊草の刃を持ってケガレを削ぎ落とし、輪を越すことで衰えた心身を賦活させる、つまり『再生』ということ。そこには真夏に青々と隆盛する茅の逞しい『生命力』にあやかる意味もあったはず。

夏の終わりに茅の輪をくぐることは半年間のミソギであり、流行病など夏のケガレを祓い去って残す年も健康で無事に過ごそうという願いなのです。

 

―まとめ―

神代の習わしに発する茅の霊力を、ミソギとハラエの神道的解釈と結びつけることで生まれた茅の輪くぐり。

古事記では神が人民のことを青人草(あおひとくさ)と、草々が生い茂るように繁栄するよう願ってこう呼びます。植物も人もともに神の産物であり、生命が同根であるならば万物の霊魂は同体であると、自然界に在りと在る神気霊力を分けてもらうことで衰えた自らの霊魂を健全な状態に戻し、清浄たる神本来の善性に立ち還ろうという生命観霊魂観に基づくのが、この「茅の輪くぐり」ではないかと思います。

旺盛な繁殖力と生命力の象徴、形状になぞらえた辟邪の霊力、衣食住への有益性、そして日本人の生命観霊魂観とそれに基づく自然万物への信仰。こうしたものが組み合わさり生まれたのではないかと解釈してみました。

古来より続く夏の風物詩である茅の輪くぐり。みなぎる茅のパワーを得て残る年も健やかに過ごしましょう。

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