本日の高住神社の様子です
◆晴れ
◆7℃
依然変わらずの渇水状況です。
ここ1〜2ヶ月まともに雨が降っていないのもありますが、いつもなら来るべき台風がないことが一番の原因ではないでしょうか。
人間には深刻な被害をもたらす台風も、自然条件下においては大きな変移をもたらす存在。
強力なエネルギーによって梃入れされることで自然の循環に変化が生まれ新たな流れになっていくというのは、山や海といった自然とそれらが育む生態系を含んだ自然環境の常でもあります。
そうした人ならぬ力をもたらす存在を『神』と敬い称え、恐れ畏んだというのが古代日本人なのですが、今の神社参拝の目的というと、現代的な悩みや目的を持った祈り、ほぼ心の問題に注視されがちで、それは勿論辛い現代社会を生き抜く我々にとって大切な側面ではあるものの、そればかりが大事なのかと疑問に思うこともあります。
今"渇水"という深刻な水不足にある中で、常であった事柄がそうではなくなった状態というのに少し考えを巡らせてみたいと思います。
幸いにも現代日本人は水不足で死ぬようなことはない環境にいます。しかし数百年前までは天保の大飢饉のように長く続いた旱害によって多くの餓死者が出た悲惨な歴史が幾度なくありました。
農民たちが貯水池を作ったり河川から用水を引いたりと腐心して水を溜め、それでも叶わぬならと人柱を立て降雨を祈った時代から、ダム建設によって膨大な水量を貯えることで人が水に飢えることがなく、いざ水不足でも給水車がやってきて解消できるような生活が潤っている時代になったのは過去の凄惨な歴史から学んでのこと。
英彦山という一部地域での水不足ですが、悲しいことに、せっかく水汲みに来たのに水が汲めない、不満だ、という声が若干感じられます。
思うようにいかないことで満たされないという心の働きは、参拝を通じて何を自らの心にもたらしてくれるのでしょう。
心を潤わせてくれるものへの気づき。この渇水を機に「満たされる」ということが何なのかを少し考えてみてください。自分が原因でもなければ誰かが原因でもないこと。己の視点と心の有り様を変えることで満たされないという心の変化は訪れるはずです。
さて本日は田川支部にて神宮大麻頒布始祭が執り行われています。
本日より新年用の神宮大麻(天照さまの御札)の頒布開始です。
清々しい気持ちで新年をお迎えになられますよう、新しい神宮大麻をお迎えください。