本日の高住神社の状況です。
◆晴れ
◆13℃
山裾で田への水張りが行われ始める頃、山間部はすでに田植えが終わり、まだ針のように細い苗がたよりなさげに風にそよいでいます。
苗が植え終わると皆作(かいさく)といって、田植え完了の報告と生育祈願の祭りを行うのですが、水源地である高住神社に参りに来る習わしが続いているのですが、こうした祭りは農家にとって節目であり、皆作祈願の予約が入るとカレンダーを眺めながら、この組の連絡がきたから次はどこどこの組かな・・・と予定を立てるため、私たちにとっても行事が暦になっているのを実感します。
そのため毎年ほぼ同じ時期に祈願が集中するのですが、昨年はなぜか時期がずれて遅く来ており、その理由を尋ねてみると昨年は水不足で田植えが遅れていたと。
はっと思い出し、そういえば昨年の今頃は、油木ダムの底が露出するほど渇水に悩まされていたときでした。
農家にとって田の準備は実生活そのものですから、梅雨が来なければ田植えも叶わず、不作の一歩手前という危機でしたから、糧として食する我々にとっても一大事を免れたわけです。
今年はそうした水不足も「今のところ」はないので一安心ですが、水なくしては生きていけないのが万物の定めなんだな、とつくづく感じました。
潤沢なときも枯渇するときもある山水ですが、岩清水とばかりに滾々と湧き流れるさまは一服の清涼感をもたらしてくれるもので、五月の柔らかな日差しの木漏れ日が差し込んで苔がぱあっと明るく照らされると、それは見惚れるほど美しい光景となります。
水を得て真っ先に色濃く輝くのは苔たちで、生き生きと生命力に満ち溢れてみえるのは、水への喜びを満身で表しているからでしょうか。
この水から作られる米も、この山の精髄を含んだ贈り物であって、その水で仕込んだ酒もまた霊気の宿る賜り物。
お酒のアルコールのことを酒精といいますが、「精」にはスピリットやエッセンスといった霊的な要素、純粋なるもの、といった意味があり、酒造りの工程を考えるとアルコールが生成され、それが”酔い”という不思議な効果をもたらすことも、醸成された甘味や風味が美味いと感じるのも、神秘のなせるわざと考えてもおかしくはないですよね。
水の精、山の精、草木の精、岩の精・・・そうした自然に宿る精霊がもたらしてくれるピュアな恵み・・・なんて想像をふくらませながら飲むのも一献かと。
高住神社でお出ししている御神酒は、今川中流にある造り酒屋・林平作酒造場の謹製。
豊前坊より湧き出た水が酒となり、霊気宿した《エッセンシャル》な御神酒として水源地でお配りしています。
そんな物語を含んだ御神酒はここでしか出しておりませんので、ご参拝の折にはどうぞ。