本日の高住神社の状況です。
◆曇り
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連休が取れたので、近畿地方へ旅行に行ってきました。
京都には天狗たちの総元締めたる大天狗・鞍馬山僧正坊がおわします。
能や浮世絵の題材にされ、果ては時代小説の主人公に名を貸す(?)など、古今通じて名を馳せる鞍馬天狗とはいかなるものか、これを機会にと足を運んでみました。
と、その前に滋賀の阿賀神社へ。
こちらは”太郎坊宮”とも呼ばれ、太郎坊天狗がいるとされています。
太郎坊といえば愛宕山栄術太郎のほうが先に浮かびますが、やはり繋がりがあるのでしょうか。
石碑や案内板を見ると、太郎坊宮という通り名で親しまれてきたようで、そうした信仰を元に太郎坊阿賀神社として引き継いでいる模様。
ここが豊前坊高住神社と呼ばれるのと似ていますね。
御祭神が天忍穂耳尊と英彦山と同じなのも縁を感じます。
境内案内図からすると、赤神山中腹にある本殿を中心に巡拝できるように様々な礼拝所が点在しています。
すべてを紹介するとページが足りないので、今回の目的である天狗信仰の面影を数点挙げておきます。
そしてこちらが夫婦岩(めおといわ)。
説明書によれば、この岩をくぐって参拝する者には病苦を除き諸願成就をさせるが、悪心ある者が通れば挟まれるとされています。
善人には加護があり、悪人には鉄鎚が下されるというのも天狗信仰によく見受けられるものです。
一通り参拝をし、車祓詰所にいた神職に太郎坊について質問したところ、「よく聞かれる質問ですが愛宕山との関わりはありません」との返事。こちらの太郎坊天狗は独自の信仰から生まれたようです。
さらに英彦山から来たというのと併せ、英彦山と同一の御祭神、そして赤と津野の地名由来を説明をさせてもらいましたが、ご存知でなかったようで反応は微妙でしたねぇ(汗)
赤神山(あかがみやま)という山名と祭神、山岳信仰と守護神としての天狗神、と似た信仰を持つ場所ではありましたが、類推すれど確証は得られずといったところ。
天狗神はなかなか容易には姿を掴ませてくれないようです。
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さて、こちらは門前にある赤神山成願寺。
四十八天狗の随一、太郎坊大権現と大きく書かれています。
由緒によれば、延暦18年、伝教大師最澄が太郎坊大権現のお告げにより、薬師如来を本尊としてこの地に堂宇を建立したことが始まりとされています。
奥の院に太郎坊大権現を祀り、一時は60余坊を連ね隆盛を誇っていたものの、天正年間の兵火によりほとんどが焼失、寛永17年に再興したそうです。
阿賀神社の由緒では、聖徳太子が箕作山に瓦屋寺を建立したときに霊験があり創祀されたとあり、その後伝教大師が参籠し、社殿・社坊を献じ守護されたと書かれています。
神仏習合時は山岳信仰の霊地として栄えたと、分離以降はそれぞれが天狗神として崇めているようですね。
こちらには太郎坊大権現の本地は勝軍地蔵菩薩とされていますが、愛宕神社の本地仏と同一のようです。
原点は異なるも、信仰の交流があったのかも知れません。
次回は鞍馬山です。
本日の高住神社の状況です。
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先週のことですが、日ごろから熱心にお参り来られる方が、盾と賞状とメダルを持って来られました。
というのも、育てた仔牛が畜産品評会で最優秀を取ったからと。
牛の神様とあって健康に育つように願を掛けていたのでしょう。
品評会でトップに選ばれたのも神様のおかげと御礼の報告だったのです。
Fさんが仔牛像にメダルをかけて賞状・盾とともに記念撮影してくれました。
(本当は私が頼まれたのですが、忘れていました・・・スミマセン)
家族で記念撮影。
玖珠町は豊後牛という和牛ブランドの産地。
畜産業は母牛を飼育して仔牛を産ませる繁殖農家から、引き取った仔牛を販売できるようになるまで育てる肥育農家と成長過程によって分業されています。
ブランド和牛に認められるには数々の基準を満たさなくてはならず、その厳しい評価のうち栄えある最優秀賞に選ばれたのはとても栄誉なこと。
皆さん、本当におめでとうございます。
嬉しそうな笑顔のおばあちゃん。
この牛像もかわいがってくださいね。