本日の高住神社の状況です。
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昨夜、苅田町にある大原八幡神社の御神幸祭にお参りいってきました。
3日間に渡って行われる神幸神事のうち、2日目の奉納神楽の見学へ。
旧豊前国は神楽が盛んで、みやこ・行橋・築上など隣接した地域をひっくるめた京築(けいちく)地域ではとりわけ神楽に力を入れています。
恵比須が鯛を釣り上げようと、大仰で滑稽な動きで皆の笑いをさそいます。
勢いよく釣り竿を上げすぎて、天井に鯛を引っかけてしまう予期せぬ出来事すら笑いに。
大黒が登場して二人でかけあいを。
お囃子に合わせてのいわゆる無声演劇ですが、演じ手のおどけた身振り手振りが面白く、語りが聞こえてきそうな雰囲気。
田川地区の神楽や豊前神楽とも相違があり、地域ごとの特色が反映されるのかも知れません。
これから神幸祭が始まれば、村々で神楽が催されることでしょう。そうした地域の差を見比べてみるのも面白いでしょうね。
これら地域芸能は過疎高齢化などのあおりを受け後継者が減りつつあるとも。
しかしながら途絶えた伝承を復活させた地域もあり、これからの世代の人々が、誇りある郷土の歴史として後世まで引き継いでいってもらいたいものです。
本日の高住神社の状況です。
◆晴れ
◆9℃
ここ数年、御朱印ブームとあって御朱印帳片手にお参りに来る方が増えてきています。
「御朱印ガール」なんて言葉も生まれてさらに拍車をかけていますが、来社する方を見る限り、若い男女からシニア世代まで幅広くブームになっている様子。
元々神社が好きな人も、これがきっかけで参るようになった人も、神社に興味を持ってくれるのはありがたいことです。
御朱印のルーツは巡礼などで写経を納める納経の証として頂くもので、経典を写すことで功徳を積み、それを納めた寺院から受納の証として朱印を頂いたとされています。
(という説がほとんどで、さらに深い起源に言及して上記内容を疑問視するサイトもありましたが、神社での集印の歴史が浅いため一般的な説を採用しています)
余所の神社の話を聞くところによると、御朱印を求めに来る人が増えた反面、ちょっとマナーのなってない人も目立つという意見もありました。
私も御朱印集めをしますが、余所の神社に参ったときに「ご参拝はお済みですか?」と尋ねられるときがあります。暗に「アンタ、参拝してないだろ?」と責め立てられているように感じてしまうのは、実際していない後ろめたさからなんですけれど・・・(笑)
他にも例大祭など多忙の最中に来られると困る、次があるので急いでくださいと急かされるなど、安易な御朱印集めへの不満も耳に入ってきます。
あくまで「参詣の証」なのでスタンプラリー感覚で集めるのとは違い、また神社名や御本尊が記された尊い印なので(どこも字の上手下手に関わらず丁寧に書くことは心掛けていますよ)まずは御祭神、お寺ならば御本尊にしっかりとお参りして、双方ともに気持ちよく御朱印の授受ができるようにしたいものです。
と、ここまで話をしたのは御朱印帳の宣伝をしたかったから(笑)
高住神社オリジナル御朱印帳、できてからまるっと1年が経ちました。
表側は豊前窟からせり出る社殿と天狗。
裏側は牛馬安全信仰から神牛像を。
神社のいわれを記したデザインに、赤という他にない配色とあって好評。梨地という織り方が光線の当たり具合できらめいて見えるんですよコレ。
初版の在庫が尽きて再版するほど人気です。ご参拝の折にぜひどうぞ。
本日の高住神社の状況です。
◆晴れ
◆9℃
近頃、山野草の盗掘が起きています。
登山者や愛好家はもちろん、私たちも季節の風物として小さな草花を探すのが日常の楽しみのひとつなのですが、先日見つけた花が根ごと引っこ抜かれてなくなっていました。
岩場の隙間から生えていたので、掃除で引っこ抜くこともなく、シカの食害も考えられない場所。
あきらかに人為的な窃盗です。
まずひとつに、神社は公園ではありません。
植物を折ったり動物を捕まえたりしてはいけません。むしろ公園ですら禁じているでしょうし。
植物の稀少性に関わらず、「かわいい花だ。持ち帰って育てよう」などと軽い気持ちで摘んではいけません。
所有権の主張をしているわけではなく、モラルの問題です。
余談ですが、以前有名ホテルでの神前結婚式の奉仕をした際、従業員用トイレに「落書き禁止」と書かれていたのを思い出しました。
一流ホテルの関係者にそんな低俗なことをする人間がいるのかと落胆したのですが、悲しいかな、わざわざ警告を貼らないといたずらがやまないのが実情なんでしょう。
山のルールでいうなら「とっていいいのは写真だけ 残していいのは足跡だけ」そして持ち帰っていいのは思い出だけです。
こうした草花も自然に生えているから絵になり美しさが際立つのであって、あなたの家先では輝きません。
そして、動植物は子孫を残すために生きています。
花は植物の生殖器なのはご存知ですか?あなたにとって奇麗な花も、植物にとっては長い季節の間でわずかな時間を選び、その生涯をかけて子孫を残そうと懸命に花を咲かすのです。
決してあなたを愛でるために咲いているわけではありません。
木々岩々を覆うコケは保水力を貯えそこに根差す草花の蜜を集めにハチが飛び交い、地面に落ちた枯葉も分解者によって養分となりキノコ類を育て、それを餌とする昆虫を狙って小動物がうごめく。そしてそれら昆虫や小動物を採餌し繁殖するため、南方から長い距離を移動し鳥たちが飛来する。
すべてこうした生態系からできていて、我々人間は生態系の輪から外れながらも、知らず知らずに自然の恩恵を享受し生きているのです。
「俺ひとり採ったところで大した影響はなかろう?」・・・みんながその意識だったらどうなりますか?
植物を根絶やしにするのは簡単、けれど復元することは難しい。
私たちも境内環境を整えるため落ち葉掃きや草取りをしますが、参道や護摩焚き場など必要最低限の範囲でしかしません。草ボウボウを雑とみるか自然とみるか、街中の神社のように人工的な整然ばかりが美ではないと思います。自然との調和が自然界と人界の境である神社の持つべき本来の姿ではないかなと、それが私たちの心を豊かにしてくれると思っています。
山奥の神社で人が生活する以上、やはり自然に悪影響を与えてしまう部分も多々ありますが、人が住みやすくなるために自然を壊すのは間違いです。それに伴う史跡や建造物といった歴史や文化も守るべきだと・・・。
話が少し脱線しましたが、人の身勝手さを優先してはならないということです。
上の写真は急に生えてきたキノコ。アミガサタケの仲間かと思うのですが、盗掘が横行すると花期を楽しみにしている人たちのためにこうした写真もあげられなくなってしまいます。現に登山ブロガーや野鳥観察家の間では、本当に稀少なものはインターネットにアップしなかったり、場所を秘匿して載せる風潮になっています。私たちもそうした情報を共有しても発信しないよう心掛けています。盗掘のみならず人が殺到して踏み荒らすこと自体が悪影響だと思っていますので、そのあたりは観光誘致との兼ね合いもあって線引きが難しいところではあるのですが・・・
ただ、霊山たらしめる尊厳を保つことが我々神社の役目であり、人間の持つ敬虔さをうながすことで山での蛮行愚行を防ぐことになるのかなと考えています。
このブログを読んでいる方で、もし神社で動植物をつまもうとしている人を見つけたらダメですよと注意してください。いえ、この神社だけではなく英彦山全体でです。
何度も足を運びたくなるような神社にそして英彦山にするため、互いに啓発し協力し合い、継承すべきこの天然無垢な自然を、そして文化を、守ってゆきましょう。
本日の高住神社の状況です。
◆晴れのち曇り
◆9℃
一昨日、珍客がおいでくださいました。
ちょいとごめんよ!とドアの隙間からズケズケ入り込んで来たミソサザイ。
何か一言物申すといった雰囲気。ピーチク言われてもさっぱり伝わりませんが。
ひとしきり文句?を言って気が済んだのか、帰ろうとしてうっかり窓ガラスに激突。
アイタタタタ・・・と目から火花を散らして立ち往生。お、お客様・・・だいじょうぶですか?!
ヤケになって部屋中暴れまわるので近くの窓を開けお帰り願ったところ、「あばよ!」と捨て台詞を言ったかどうか定かではありませんが、立ち止まってめまいを治してから飛び去っていきました。
そんなやりとりがあったかご想像にお任せしますが、ドアにわずかな隙間があると「何かしらん?」と侵入してくるのが好きなんですよねミソサザイは。
普段から岩場など狭い隙間をくぐり抜けて生活しているからか、入ってくると上を下への大騒ぎ、捕まえようと文字通りの“トリ”物帳となります。
自ら狭い隙間に入ってこうとするから困り者。ケガさせるわけにはいきませんからねえ。
こんなことが多々あるのもここならでは。
もし、勝手に社務所に入ろうとするミソサザイを見かけたら「そっちじゃないですよ」と声かけしてやってください。