本日の高住神社の状況です。
◆雨
◆6℃
久しぶりに沢の水が流れているのを見ました。
落ちた枯葉や杉の枝がたまっているのを見て、いつかかき集めなくては…と思っていたのですが、
今日の雨ですべて洗い流してくれた模様。
自然には自浄作用がありますから、たまった砂泥や落ち葉なども下流へと押し流してくれます。
山のミネラルや分解された落ち葉などの栄養素は川に溶け込み、微生物や川の生物を育て、
さらに河岸や砂洲にたまった土砂には、風や鳥によって運ばれてきた草や木の種が芽吹き、
他種多様な植物群と、虫や鳥たちの楽園を形成します。
遠く、極北の地にはこんなお話があります。
きまぐれな鳥によって運ばれた木の実が河畔に芽吹き、年月を経て一本の木へと成長します。
雪解けの流れは勢いよく、川岸を削りながら数年後にはとうとうその木まで到達し、
激しいうねりによって根元を洗い流された木は、大いなる流れに身をまかせて長い旅路へと出発します。
そして何百kmの流れとともに河口へと押し流された木は海流に乗り、長い長い航海を経て、さらに北の海岸へと辿り着きます。
その頃にはせり上がっていた枝や根も折れ、面影がないほどすっかり姿を変えてしまった木でしたが、
渡り鳥の休憩地となったり、動物のマーキングポイントとして、広大無辺な土地での目印となりました。
そして、それに気づいた猟師が罠を仕掛け……
といった一本の木にまつわる物語があるのですが、最後にこの木は薪となっておしまい。
ですが、燃えた木は炭素などの生物を構成する物質に還り、いつかまた、一本の木に戻る日が来るだろうとしめられています。
きっと、この山の木々の枝葉も、水とともに流れ、濁流に揉まれながら時には激しく岩場に身を打ちつけ、
長い月日を経て辿り着いた地で、何か別のものを育むものへと変わるのでしょう。
降りそぼる雨を見ながらふと思い出した話でした。
上記の話が気になる方は、『極北の動物誌』(著:ウィリアム・プルーイット)でお調べ下さい。
自然と動物、そして人間の関わりなど面白いですよ。