本日の高住神社の状況です。
◆雪
◆-9℃
◆積雪量…25cm~
大雪なのに立春とはこれ如何に、といった英彦山。
昨日、スロープカー花駅に出向いたついでに、2Fにある山伏文化財室を見学してきました。
何度か足を運んだこの資料室ですが、新しい知識を得るたびに新しい気づきがあるので思い出したときには寄ることにしています。
さて、今回気になった展示物ですが、山伏の生業のひとつに占いがあり、筮竹(ぜいちく)を用いて占いをしていたそうです。
説明によれば、筮竹は長命な多年生植物の筮萩の茎を用い…と書いてあります。
筮萩と書いて「メドハギ」と読み、メドハギとは日本全国の痩せ地に生育する多年生草本で、茎は丈夫で木質化し、高級すだれなどにも利用されるとか。
英彦山はメドハギの特産地だったそうです。
“筮竹”と呼んでいるのに、竹ではなく草の茎を使っていたのですね。
下の写真は了乗坊所有の八卦図。
納屋物置吉也、門戸凶などと書かれている文字からすると、どうやら家相に関わる表のようです。
右から小雪大雪冬至…と続き、小寒大寒の次は艮鬼門となり立春ではない様子。
節分ネタで記事に載せたのに立春が飛ばされるとは…。
この表に算木や筮竹での結果を当てはめるのでしょうか、人々は山伏に地相家相、選日法など日常に関わる吉凶を尋ねていたようです。
(展示資料につき写真転載不可でお願いします)
中世以降、山伏は民間祈祷師として活躍し、春夏秋の峰駈けの合間に檀家を廻っては、加持祈祷や御札を授け収入を得ていました。
英彦山ではおなじみの御宝印(牛王宝印)。
熊野大峰山の陀羅尼助や木曽御嶽山の百草丸のように、英彦山にも山伏伝来の妙薬があり、その名を「不老園」と号していたそうです。
近世の山伏は民間祈祷師であるばかりでなく、人々にとっては頼りになる民間療法の専門家でもありました。つまり、病気を治すための加持祈祷を行うかたわら、薬草・薬石をそえることを忘れなかったのです。山伏たちは、本草学に関する知識を持ち、山中で薬草を採取あるいは栽培して、さまざまな薬をつくりました。つくった薬は年に一度の檀家廻の際に配って歩き、翌年檀家を訪ねた折にもしもその薬が呑まれていれば、代金を頂くといった具合でした。「入れ薬」のはじまりです。
(求菩提資料館HPより)
「不老園」は英彦山山伏総てが配布した薬と説明書きにあるように、統一化を計ることで英彦山ブランドの薬として販路拡大を狙ったのでしょうか。
不老とまるで仙丹のような名前の薬ですが、万能薬というくらい様々な効能があったようです。
しかし、明治の政策によってこうした民間医療薬に規制がかかり、また修験道廃止令などの煽りを受けて不老園は徐々に消滅していったようです。
調剤のレシピが発見されたり、もし旧家の納戸から丸薬が見つかったとかあれば配合を調べて再現できるのかなと思うのですが、調査することで薬学や植物学の新たな発見に繋がる可能性もなきにしもあらず。
英彦山で独自に作られた秘薬があったということでした。
最後にまじない札を。
自動ドアに貼られていた札ですが、一体何の御札でしょうか?
弓と矢、上中下と三方を睨む目、口だらけに角のない鬼の字。
なんとなく左右の万葉文字は読めなくもないのですが…
「駒は行く 我が行く方は 誰ぞ知る 繋ぎ留めたる 柏木の元」??
方除の御札かなと思うのですが、分かる方いらっしゃいましたら教えてください。
調べて答え合わせをそのうち載せたいと思っています。