高住神社公式ブログ

英彦山豊前坊高住神社の公式ブログです。

4月29日(祝・昭和の日)の様子

2020年04月29日 10時36分44秒 | 日別天気・交通情報

本日の高住神社の状況です。

◆晴れ

◆8℃

 

例年なら楽しみなはずの大型連休ですが、国や県、各自治体から活動自粛要請が相次いで出ているため、外出を控えている方も多いかと思います。(そういう方が多くないと困りますが)

添田町としてもGW期間のスロープカーの運行中止、店舗への休業協力要請、観光地の駐車場利用の自粛要請など、人が集まる機会を作らないよう動いています。

3月末の3連休で感染者が増大し、それを受けて緊急事態宣言と強い活動自粛となり、少しずつ効果が表れている最中です。

今日のみなさんの行動がさらに2週間後の事態を作ります。

開催できずじまいだった卒業式、延期となっている新入生の入学式、学生最後のインターハイ中止など、大切な人の大切な節目がこれ以上取りやめにならないよう、自分を律しながら誰かのことを考えて行動をしましょう。

 

当ブログでは神社の様子や英彦山の風景を載せていますが、みなさんの行楽欲を刺激したり観光に招くような意図ではなく、自粛の中で見ることのできない景色を楽しんでもらおうとするものです。

外出がはばかられる中で、パソコンやスマートフォンの「窓」を通して遠く英彦山の景色に思いを馳せてもらえたら。

いつか見た風景を懐かしみ、いつか見たい景色にまた会えるよう、もう少し頑張って籠もりましょう。

 

 

添田町役場HP 新型コロナウイルス感染症に関するお知らせ https://www.town.soeda.fukuoka.jp/docs/2020040700010/

福岡県庁HP 新型コロナウイルス感染拡大にかかる緊急事態措置について https://www.pref.fukuoka.lg.jp/contents/covid19emergency-details.html

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4月24日(金)の様子

2020年04月24日 15時28分26秒 | 日別天気・交通情報

本日の高住神社の状況です。

◆曇りのち晴れ

◆3℃

 

4月下旬になってなぜかまた寒さがぶり返してきたようで、先日もはらっと雪が降り、そして昨日も雪がちらついたそうです。

昨日は平地で16℃でしたから、かなりの温度差がありますね。

日差しは暖かくとも、まだ冬服が手放せそうにない英彦山。

 

しかし花たちは確実に春を謳歌しているようで、ぐるっと境内を見回るとこんな花たちが咲いています。

左上からZ字に、サバノオ、キケマン、フデリンドウ、エイザンスミレ

 

ミツバコンロンソウ、スミレ、ミヤマハコベ、ヒトリシズカ。

 

林床や苔、岩陰やジャリ道の脇など、花の好みによって生育個所が違うので、よく見るのもあればめずらしいのも。

とはいえスミレなんかは種類が多く、わずかな違いが難しい近似種もあったりして、慣れていない者には見分けが難しいものです。

花によって日当たりの良いところ、日陰のところ、乾燥した土、湿った苔など好みがあるので、そんなのにも注目して探してみると面白いですよ。

足元に咲いているので踏まないよう探してみてください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4月18日(土)の様子

2020年04月18日 11時30分34秒 | 日別天気・交通情報

本日の高住神社の状況です。

 

英彦山へ向かう藪の中で、白い花が大群生しているを見かけます。

アヤメ科の植物で、名前をシャガといいます。

英彦山集落の石垣などでもよく見られ、自生というより観賞用に植えられた雰囲気。

アヤメ科だけにアヤメやカキツバタによく似た、気品にあふれた姿をしています。

その割に園芸種ではあまり見かけないかも・・・と思っていたら、シャガというのは種子をつけない植物だとか。

というのもシャガは"三倍体”という遺伝的に種子が実らない性質を有しており、花は咲かせても種をつけないそうです。

どうやって増えるのかと言うと、根茎を延ばして株を増やしていくそうで、なので群生しているんですね。

こうやって茎を伸ばし自己増殖で増えていく植物には、ドクダミ、ヤブカンゾウなどがあり、畑の畦で見られるヒガンバナも実は三倍体植物で、こちらは鱗茎(球根)で増えます。

結実というシステムがないため、遠くに行きたいときは風や鳥によって種を運んでもらうという手段がとれず、人為的に植えられる以外の移動手段がないので、集落や民家のそばで見られるのもそういうことのようです。

※セイヨウタンポポは例外で、三倍体でも単独で種子をつけて増殖できるそうです。すべての三倍体が種子を実らせないわけではありません。

 

 

池や水路など水辺のイメージが強いアヤメ科の花ですが、路傍で見かけるシャガもしっかりとその姿かたちをしていて、とても美麗です。

場所によってはすぐ見つかりますので、通り道で探してみてください。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4月12日(日)の様子

2020年04月12日 10時26分15秒 | 日別天気・交通情報

本日の高住神社の状況です。

◆雨

◆3℃

 

霧にけぶる老桜はいつもと違う雰囲気で、幻想的と表現すれば良い響きですが、蟲惑的な妖しささすら感じます。

平安時代には「花」といえば桜を指すほど親しみ愛でられてきた花で、散り際のはかなさは人の心の移ろいやすさや世の無常に例え詠われてきたように、可憐さと別の一面も見出されてきたのでしょうか、遠い昔には、桜の咲く頃に疫神(えきじん)がはびこる、といった説が考えられていました。

平安時代より以前、律令国家における祭祀の基礎と定められた神祇令(じんぎりょう)では、桜の花が飛散するのに伴って疫神(えきじん)が四方に分散して病(やまい)を起こすという当時の考えより、「鎮花祭(ちんかさい)」という花鎮めのまつりを公的に行っていました。

疫病の正体が分からぬ時代、社会や人々を脅かす災疫は悪神のしわざと信じられていたため、そうした悪神(疫神)を祀ることで鎮めるまつりが鎮花祭です。

 

律令制が整い始める7世紀~8世紀頃の日本は、数度に渡る疫病流行に見舞われています。《続日本紀・日本紀略》

天平期の天然痘大流行は民衆のみならず朝廷にも影響を及ぼし、災禍から免れるために東大寺大仏造立、国分寺・国分尼寺の創建、幾度に渡る改元など、どうにかして不安な情勢から逃れようとしていたのがうかがえます。

国分寺建立の詔を出した聖武天皇の后、光明皇后は仏教の信仰篤く、施薬院(せやくいん)・悲田院(ひでんいん)という貧窮の病人や孤児の救済施設を建てるなど、今でいう社会福祉に尽くした方でした。

こうした事績からか光明皇后には伝説があり、法華寺の浴室で千の病人の垢を流すと願を立て、最後にらい病の男の膿を口で吸い出すと、その者は阿閦如来(あしゅくにょらい)へと変じたという奇跡譚が伝わっています。

歴史書や伝説からも、天然痘やらい病といった感染症が日常的にあったこと、ときおり大流行を引き起こして社会機能の停滞や世情不安に陥らせていたことが分かります。

 

 

少し話を戻しまして、疫病は悪神の仕業と説きましたが、その悪神とは、政変で殺されたり非業の死を遂げた者の怨霊、御霊(ごりょう)正体と考えられていました。

それは血で血を洗う権力争いからくる後ろめたさもあったのだろうと想像するのですが、御霊とされた存在に対して、霊廟や社を設けて丁重に崇めたり、位階や諡号を追贈して慰めるなど、祟りを起こした怨霊を祭ることでその怒りを鎮めようとした訳です。

効果のほどはいかにといったところですが、平安時代になると早良親王、橘逸勢、藤原広嗣など、政争での敗者の怨霊を鎮める御霊会(ごりょうえ)が行われ、同じように報われぬ最期を迎えた崇徳天皇や菅原道真といった人物もまた、“祟り神的存在”として祀られるようになっていきました。

こうして奈良時代から平安時代にかけて、社会を陥れる疫病は御霊のしわざと信じられるようになり、祇園御霊会(のちの祇園祭・祇園信仰)や天神信仰らに影響を与えたり受けながら夏の祭りとして確立していくのですが、そうしていくうちに公的祭祀であったはずの「鎮花祭」はその役割から公の部分が外れていき、桜の散開とともに疫神が猛威をふるうという考え方は薄れていったようです。

 

 

桜のはかなさが美の象徴と考えられるようになったのは平安時代以降で、戦乱や天災、疫病といった乱れる世の中に末法思想が台頭したこと、死が身近にあったことに命のはかなさや無常観が生まれ、爛漫に咲く桜があっけなく散るさまにもそうしたイメージを重ねたのかも知れません。

その後の文学でも桜はたびたび死のイメージと繋げられ語られてきたりと、現在わたしたちが持っている桜の印象は王朝時代に固まったものと思われます。

 

 

かつて疫神のしわざと考えられてきた疫病も、現在では細菌やウイルスが原因と解明され、予防策や対処法も確立されています。

しかし、受け継がれてきた祭祀を考えるにあたり、目に見えぬものへの恐れが「疫病という祟り」にとなってふりかかるという土俗的な考え方は決して否定してはならず、かつての日本人はこう考えていたという精神性と自然観を読み解くことが必要なのです。

それと同じように、現実や道理を無視して盲目的に祭りを行うことも、未発達な文化への後戻りにしかなりません。

今我々がすべきことのヒントは歴史にあります。過去を学び、そして未来へ語り継ぐことが、今を生きる我々の使命です。

国難に見舞われている今だからこそ歴史を学び、人が招く災禍を起こさぬよう、繰り返さぬよう意識して努めましょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4月8日(水)の様子

2020年04月08日 13時38分21秒 | 日別天気・交通情報

本日の高住神社の状況です。

◆晴れ

◆8℃

 

卯月八日は「潅仏会(かんぶつえ)」

花祭りといって、お釈迦様の誕生を祝う仏教行事ですが、この日にはおもしろい俗信がありまして。

江戸時代、当時の江戸の人々は、台所や便所などに

「千早振る(ちはやふ)る 卯月八日は吉日(きちにち)よ かみ下虫(さげむし)を成敗ぞする」

と書いた紙を逆さにして貼り、ゴキブリなどの虫除けのまじないとしたそうです。

 

お釈迦様の誕生日が吉日で、特別な功徳をいただける日というのは分かるとして、なぜ虫除けに御利益があるのでしょう?

ひとつの理由として、花が咲く陽気あふれる頃になると衛生害虫も活発になるので気をつけよう、という意味かなと。

花祭りの甘茶は飲むだけではなく、これで墨を摺り虫除けのまじないを書くと効果があるとか、その対象もゴキブリのみならず、ウジやムカデ、あるいは疳の虫と効能もさまざま。

お釈迦様も自分の誕生日が虫除けにつなげられるとは驚きでしょうね。

 

こちらは高住神社に伝わる虫札。

虫は虫でも、ウンカやイナゴなどの農業害虫除けのまじない札です。

でも、もしかしたらゴキブリやムカデにも効くかも?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする