令和三年の干支は【丑】とあって、高住神社にとっては深く関わりのある干支の年。
境内を見回せば分かる通り、各所に牛の像が奉納されています。
よく天満宮とのつながりを質問されますが、神牛というキーワードが同じなだけで、信仰上の接点はありません。
豊前坊の神牛は、御祭神である「豊日別神(とよひわけのかみ)」の豊国開拓という御事績から、稔り豊かな土地であるよう農業繁栄・五穀豊穣の守護神として崇められ、そこから田畑耕作に使役する牛馬の健康安寧を農民が祈ったことに始まります。
つまるところ、開拓神=農業神=牛馬の守り神といった三段論法によって牛馬安全の信仰が生まれたわけです。
ここの牛たちは豊国の守護神の神使ということなのですね。
せっかくなので、境内にいる牛たちの写真を載せておきます。
青銅の神牛は一八三九年=天保九年(約一六○年前)に、ともに五穀豊穣、牛馬・家内安全を祈願して、田川郡の大庄屋六人が住民を代表して奉納したもの。
人畜の病める部分を振替えてもらうよう其の部分の膚をなでる風習あり。〈当社由緒書より〉
昭和四十九年七月三十日奉納、ホルスタイン像。
元は神馬像が建てられていたが、戦時中の銅供出により撤去されたという説あり。
その空いた個所に建てられたのがこのホルスタイン像で、近郷の酪農部会の手によって造られたセメント製神牛像です。
近年、酪農部会によ塗装の塗り替えや製作者のご子孫により清掃されるなど丁重に扱われているおかげで、半世紀近く前のものとは思えませんが、酪農家の方いわく、現代の乳牛と違い、寸胴で短い脚の旧品種だということから昔の作風と分かるようです。
農耕使役の家畜から畜産という産業の近代化によって、信仰形態に変化が生まれ、今日では酪農、精肉加工・販売業と畜産に関わる業種の方々の信仰を集めるようになりました。
こちらは平成後期に奉納された金属製の神牛像。
奉納者の言には、肩をおおう毛からまだ仔牛であるということ、また脚をたたみ伏せている姿から、これからの「成長」や立ち上がる「発展」を願う神牛として愛でられています。
この神牛にあやかり、鋳物で作られた「夢叶う神牛」が高住神社で人気の授与品のひとつとなっています。
最初に書いた事柄から、天満宮系の神牛でも、干支年限定の神牛像でもなく、御祭神にまつわる由緒を持った神牛像なのがお分かり頂けたかと思います。
(パッケージの反射で実物が見えづらくて申し訳ありません)
十二年に一度巡ってくる丑年と重なり着目を浴びたおかげで、一時は仕入れと生産が追いつかず欠品したときもありました。
通常授与品として日々出しておりますので、お求めの際は神社の成り立ちとともに覚えて持ち帰ってくだされば幸いです。