9月8日、当神社の神幸祭が執り行われました。
神輿発祥と云われる宇佐神宮をはじめ、全国的には「神幸祭」のことを“しんこうさい”と清音で呼びますが、この辺りでは“じんこうさい”と濁音で呼ぶのが通例。
かつては9月二の丑の日に行われていました。
“高住神社の丑祭り(神幸)・・・9月2番丑を中心に3日間行われる。神輿は1体だが行列順序は英彦山神宮とほぼ同じ。丑の日は、三頭の牛(天の時・地の利・人の和)の抽せん会があり、夜は丑相撲といって、近郷より力士が集まって盛大な相撲が奉納された”(福岡県史〈民俗資料編〉ムラの生活・下)
戦後しばらくはこの日程(昭和27年宗教法人令届け時)で行われていましたが、その後に9月14.15日と変更となるものの、生活様式の変化に伴い、現在では神役や担ぎ手の集まりやすい9月第2土日開催と、話し合いの上で決められています。
氏子らの手によって旧参道を通り(現在の九州自然歩道の一部)はるばると集落まで運ばれていた神輿ですが、昨今は高齢化・後継者不足などの村落の抱える諸問題から、神輿を運搬車で運んだり、神幸行列の縮小といった祭儀の簡素化を行わざるを得ない現状。
そうした話はひとまず置き、まずは祭りの様子です。
今年も土曜日のみの出輿となりました。当日は生憎の雨模様で、総代の記憶にある範囲でも雨儀の前例がないとのこと。渡御ができるか心配していましたが、雨天中止とはせず定刻通りに出輿しました。
例年通りの巡幸路を1時間ほど周回して帰着。頓宮となるべき場所がないので本社幣殿にて一夜を明かします。
夜に照らし出される神輿は厳かで、昼に見る姿とは違う趣きがありました。
(昨年の夜の様子)
https://blog.goo.ne.jp/takasumi-jinja/e/ec52343f07a68d369d8857c74c1d9a9a
高住神社の神輿は「六角形」という稀な形状をしています。
いつからあるのかといった資料はなく、唯一神輿の底面に修復歴が残されており、そこには大正5年頃と書かれています。
この時点で既に100年は経過していますから、製作時期はさらに古いはず。
角瓔珞に使われる素材や状態のまだ美麗なことから、それ以降に小さな修繕はしているかと思います。
神社建築の場合、時代や文化、地域性や作り手の流派といった影響を受けるようですから、神輿もそうした影響がないともいえません。
神輿発祥ともいわれる宇佐神宮と距離もそう遠くなく、英彦山をはじめ国東周辺など豊前国では神仏習合の影響が色濃く、何かそうした流れも六角形に表れているのかと考えてしまうのですが、なにぶん近隣では見かけない六角神輿。できるだけ多くの人の目に触れることで、記憶を伝って継承されていくものもあるわけです。
氏子の祭りではあるものの、近郷からこぞって丑相撲に参加したとあるように、村落とそれを支える信仰域にいる者たちによって、この祭りは支えられてきたのでしょう。
神輿という有形の歴史、祭事という無形の文化。
形あるものはいつかは朽ち失い、形なきものは忘れ去られてゆく。
有限のものをそうならないように、形あるものは人の手によって修復、新調しながら受け継ぎ、形なきものは忘れられぬよう記憶と心を繋いでゆくことが、祭りに込められたもうひとつの意義なのではないでしょうか。
視界の悪い天候の動かしたからか、今年は例年になく鳳凰が青葉をひっかけてのお戻りに。
緑の尾翼がついたように見え面白かったので撮ってみました。
土曜日の着輿祭にて牛くじの抽選が行われ、特賞当選者の発表がありました。
当選者様には連絡を差し上げていますが、ご購入頂きました皆様には漏れなく景品がございますので、お忘れなきよう取りにお越しください。
昨年、一昨年とまだ取りに来られていない方も多数おりますので、御参拝の折に社務所までお声かけください。
本年度の神幸祭ならび牛くじ神事は、これをもちましてお納めでございます。
ご理解とご協力賜りました氏子崇敬者の皆様がたに、厚く御礼申し上げます。
次回祭事は、11月3日(文化の日)秋季大祭・柴燈大護摩修法となります。