高住神社公式ブログ

英彦山豊前坊高住神社の公式ブログです。

9月26日(月)の様子

2011年09月26日 15時24分35秒 | 日別天気・交通情報

本日の高住神社の状況です。

◆曇り

◆14℃

 

連休の間、天気が良かったですね。

英彦山は登山者で賑わい、朝から駐車場が満車になっていました。

 

知り合いの登山者からダイモンジソウが咲いてるよ、と報告を受けました。

灯台下暗し。身近にあると忘れてしまいます。

P9240027

五片の花びらのうち下部の二片が長く、大の字に見えることから名づいたとか。

こういった形になるのにも何らかの意味があってのことなんでしょうね。

 

P9240031

秋の山野草が花を咲かせつつあります。

少しずつ近づく本格的な秋の前に、足元の小さな秋をぜひ楽しんでいかれてください。

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9月21日(水)の様子

2011年09月21日 15時14分20秒 | 日別天気・交通情報

本日の高住神社の状況です。

◆雨

◆15℃

 

昨日の続きです。

 

今回は収蔵品のうち、奉納物と調度品の紹介です。

P91900291

絵馬(昭和三年八月捨二日 松末村中村 田中長五郎)

これは絵馬。

馬具をつけた馬が描かれていますが、絵馬の由来は神様の乗りものとして生馬を奉納したことに始まり、それが現在のような板絵の馬へと代わりました。

今では様々な絵柄や形状の絵馬がありますが、五角形をしているのは馬小屋の屋根を表しているから。

写真のように枠がついているのは額として飾れるようにでしょう。

“御願成就”と書かれているので祈願の折に奉納したものだと思われます。

 

そしてこちらは伊勢の神宮地図。

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伊勢両宮参拝順路之図(大正元年十二月吉日 筑前国朝倉郡松末村 小川藤五郎)

だいぶブレてますが、内宮外宮の地図が書かれていて伊勢詣りの記念に奉納されたのでしょう。

P91900161

どちらも朝倉郡松末村(現在は朝倉市)出身の方による奉納ですが、当時は汽車もなかったので徒歩で英彦山まで参拝しに来たのでしょう。大変な思いだったに違いありません。

 

 

今までのは大正~明治期のものばかりでしたが、さらに古い時代と思われるものも。

P91900321

鍋島藩?の家紋入りの旗です。

英彦山神宮に鍋島藩からの寄進があったように、高住神社でも元和9年(1623年)に細川・鍋島両藩主によって社殿再建がなされました。

その名残として鍋島藩ゆかりの杏葉紋が今も斎館などに残されているのですが……

写真の旗の紋は杏葉ではなく、どうやら茗荷のようです。

 

Myoga_2   Gyoyo

     抱き茗荷              鍋島花杏葉

 

杏葉紋と間違えて茗荷紋になったのか、それとも茗荷紋になる理由があったのか。謎は深まるばかり。

家紋に詳しい方がいらっしゃったら教えていただきたいものです。

 

収蔵物は年代物のためほころびや虫食いがひどく、掃除のうえ丁寧に保管し直しました。

ここは展示館がないので公開はできませんが、そのうち綺麗に写真を撮り直してデジタルアーカイブスを作ろうと考えています。

完成したらお知らせします。

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9月19日(火)の様子

2011年09月20日 15時40分32秒 | 日別天気・交通情報

本日の高住神社の状況です。

◆雨

◆16℃

 

雨が続きますね。

梅雨時とは違い、雨が降るごとに少しずつ寒さが増してきているようにさえ。

九月の古名を『長月』といいますが、一説には長雨が降る月だからとも。

春雨だと濡れてまいろうなんて風流な言葉が合いますが、この時期だと風邪を引きそうでそうはいかないですね。

 

さて、昨日は霧がかった雨でお参り手も少なかったので、幣殿の押入れ掃除をしました。

ここには祭具の他、昔の調度品や宝物?がしまわれているのですが、ほとんど使われない今はカビとネズミの住処。

収納スペース確保のために大掃除をしたのです。

すると珍しい収蔵物が出てくるわ出てくるわ。

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木製臥牛像(明治三十年八月吉日 佐賀県藤津郡南鹿島村 牛壱尾 井手武七)

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臥牛石像(年月日不詳)

写真上段の木彫りの牛ですが、角がなく押入れから出てきたときは大きなネズミに見えました(笑)

下段の石像は顔半分が欠けていますが、頸のしわや尾の毛並みなど細部に渡って再現されており、当時の石工の技術の高さがうかがえます。

牛馬信仰がいつから始まったか定かではありませんが、磨耗具合から考えておそらく同時期ぐらいの作ではないでしょうか。

 

そしてこちらは木製の狛犬。

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四兄弟が身を寄せて並んでいました。大きさは小型犬くらい。

雰囲気を出すために下から懐中電灯を当てて撮ったのですが、可愛いような、怖いような…。

尻尾のあたりにほぞがあったので、古い社殿時の装飾品かも知れません。

割と状態も良く、多少虫食いや腐食の跡がありましたが、生き生きとした表情は今も押入れの中から睨みをきかせているよう。

 

これは昔の扁額。

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高住社、豊前坊大権現とそれぞれ書かれています。

裏を見ても製作日がなかったのでいつの時代かは分かりませんが、明治期に高住神社と改称したときのものでしょうか。現在は「豊前坊」と書かれた扁額が掛けられています。社務所脇の水神社の右脇には石でできた扁額が石碑のように建ててありますが、そちらには「豊前崛」と刻まれています。

豊前崛、豊前坊、高住社、豊前坊大権現と呼び方は変われど、時代時代での尊崇の様子が分かりとても興味深いです。

 

他にもいろいろと出てきたのですが、それはまた後編で。

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平成23年度神幸祭 斎行致しました

2011年09月12日 16時28分14秒 | 神社からのお知らせ

10日・11日と二日間に渡り、神幸祭が執り行われました。

前日まで天気の様子が気がかりでしたが、当日は晴れて絶好のお祭り日和。

 

神幸祭は年に一度のお神輿が出るお祭です。

高住神社の神輿はこの辺りでは珍しく、六角形をしています。

なぜ六角形なのか、当時の資料がないので詳しいことは分からず。

由来を調べなくてはいけないね、なんて話もちらほら。

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拭きあげ清掃も終わったので、後は舁き棒を入れて社殿に運び込めば準備完了。

 

 

午後1時、総代参列のもと祭典が行われます。

例祭、そして御神輿への御霊入れの儀。

これは人目につかぬように行われる秘儀なので、扉を閉めて神職のみで執り行います。

無事に神様に神輿にお遷り頂いたら、いよいよ出輿(しゅつよ)。

総代会長が召立表を読み上げ、“ぞっきもち”と呼ばれる神幸諸役に当てられた人が、次々とお神幸(みゆき)を彩る威儀物などを運び出します。

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中央の大きな白い矢印は「御幣(ごへい)」

英彦山ではこのような形をしています。

そして右側の面を持つ役を王持といい、赤いものを「火王面」、緑(青)のものを「水王面」として一対になっています。おそらく猿田彦に当たるものでしょう。

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微笑んだ氏子さんが持っているのは榊。根がついたままなので「根堀榊(ねほりさかき・ねこじさかき)」と呼び、三種の神器である鏡・勾玉・剣がついています。

他にもありますが、神役については後日詳しく載せたいと思います。

 

 

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そして神様が載った神輿のお出ましです。

足元に気をつけながら、天辺の鳳凰にも細心の注意を払って威勢よくお神幸に旅立ちます。

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深緑の参道を下ってゆく、朱色の神輿と純白の法被に身を包んだ神輿舁き。

これから銅の鳥居そばの御旅所まで巡行します。

 

 

午後3時前に御旅所に到着。

神輿が着いてからすぐに、6名の可愛らしいお稚児さんが神輿の前で稚児舞を奉納します。

そして着輿祭。神様が御旅所に到着したことを喜び、お供えをして歓待します。

御神輿は仮宿で一晩お泊り。

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日が暮れ始めると、英彦山の方がお供え片手にお参りにきます。

どうぞどうぞとお出迎えしてお下がりの酒を酌み交わし、神様と氏子を交えた楽しい酒宴の一時。

神人和楽。こうして一晩、神様のお守りをしながら夜は更けてゆくのでした。

 

* * * * * * * * * * * * * *

 

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明けて翌朝。

一晩、御旅所にお泊りされて里内に幸せをもたらした神様は、またお宮に帰られます。

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祭りの支度も整い、午後1時半より還幸祭(かんこうさい)

 

祭典後、稚児舞の奉納。

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お神輿に向かい拝礼。そしてトン、トン、トン、と太鼓の音に合わせて舞始めます。

お稚児さんは小学生の女の子と決まっていて、左からちょうど背の順になっていますね。

可愛らしい姿にギャラリーも笑顔で見守っています。

 

そして還幸。

多くの見物人に見守られながら、神輿は威勢良く神社へ戻ってゆきます。

私は先回りして神社へ。お神輿が戻ってくるための準備をするために。

すると参道沿いにはお神輿の帰りを待つ参拝者たちが。

こうして神様の帰りを待ち望んでくれている方々がいると、神様も喜ばれることかと思います。

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重い神輿を担ぎヘトヘトになりながらも、最後の一ふん張りで社殿に。

御霊代を本殿に戻し、これにて二日間に渡る神幸祭が無事に終了いたしました。

 

 

そしてこちらが牛くじ特賞当選の方。

Jinkou_161

神輿舁きをしてくださった大和社寺の職人さんです。

実は一昨年も特賞を当てられており、そのときは娘さんが見事特賞を当てました。

http://blog.goo.ne.jp/takasumi-jinja/d/20100911

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家族そろっての集合写真をパチリ。

棟梁が一番喜んでいるようにも見えますね(笑)

 

 

神幸祭にあたり、ご協力賜りました総代をはじめ氏子の皆様、またご奉仕くださった方、牛くじ購入者の方々、その他写真協力、ブログ等各種案内で当神社をご紹介してくださった参拝者の皆様に厚く御礼申し上げます。

来年も7月あたりより牛くじ販売を致します。なお、牛くじ購入の初穂料は神幸祭典費に充てさせて頂いております。祭りの伝統と存続のためにも、皆様のご理解とご協力を賜りますようお願い申し上げます。

 

次の高住神社の祭事は11月3日(文化の日)秋季大祭・秋の採燈護摩となります。

皆様のご参拝、心よりお待ちしております。

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平成23年度 高住神社神幸祭のお知らせ

2011年09月11日 15時43分00秒 | 神社からのお知らせ

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    ~ 高住神社神幸祭のお知らせ ~

 

◆日時 : 9月10()・11日(

◆場所 : 高住神社神殿 ~ 御旅所(銅の鳥居そば)

◆日程 : 10日() 神幸祭祭典  午後1時

               神輿お下り   午後2時

               御旅所お着き 午後3時頃 稚児舞のち着輿祭

 

       11日() 御旅所お発ち 午後2時  稚児舞のち発輿祭

                高住神社お着き 午後3時頃

   

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               Photo_5

 

◆高住神社神幸祭のいわれ

高住神社の丑祭り(神幸祭)は9月2番丑の日を中心に3日間行われる。

丑の日は3頭の牛(天の時・地の利・人の和)の抽選会があり、夜は丑相撲といって近郷より力士が集まって盛大な相撲が奉納された。

(福岡郷土資料より)

 

高住神社の神幸祭は古くは丑祭りといい、9月第二丑の日に行われてきました。

氏子のみならず牛馬蕃息を願う遠近の村人が寄り合い、相撲や牛馬加幣(牛くじ)などで大いに盛り上がったと云われております。

現在では、9月第二土日の2日間に改められ、牛くじ景品の特賞も生きた仔牛から牛の置物へと変わりましたが、時代の流れとともにかたちを変えつつも、古来より続いてきた神事として今も引き継いでおります。

都市の神幸祭とは違う素朴な村祭りですが、神事はどなた様でもご覧になれますので、ご参拝はもちろん、祭り風景の写真撮影の他、記念に牛くじ券も合わせてお受け下さい。

尚、牛くじに関しては別にお知らせがありますので、詳しくはそちらをご覧下さい。

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