21日、高住神社春季大祭・柴燈大護摩修法が執り行われました。
当日は雨の予報が出ており、それが心配の種でしたが、生憎の天候でも神事が始まる頃には上がりはじめ、皆ほっと胸をなで下ろせた様子。
続々と祭りのために集まる参拝者からも一様に雨が上がって良かったという声があがり、これも神様のお計らいだろうと喜んでおられました。
そして粛々と執り行われる春季大祭。
雨上がりのひんやりとする空気の中で行われる祭典は、凛とした気配さえ漂っていたようにも。
祭典開式を待つ間、境内では笹湯が振舞われます。
この笹湯も恒例になり、これを楽しみにくる方もいるようです。
大きな鉄釜から立ち昇る薫煙が辺りに広がり始めると、初めて参拝した方も興味をそそられるようで、一口飲むと薬湯らしからぬ甘みが広がると好評。
体内から毒気を払った後は火渡りで身の穢れも祓いましょう、ということで、いよいよ柴燈護摩の開催です。
懺悔懺悔、六根清浄と唱えながら山伏たちの入峰。
柴燈護摩の儀式に則り、まずは山伏問答が行われます。
この山伏問答、山伏の心得や知識を問うやりとりなのですが、行者の法具などについて意味を問い、入山の資格があるかどうか見定める儀式なのです。
その応答を聞いていると、なるほど、と思うことばかりで、「山伏とはいかなるものか」と聞く側にとっても勉強になることでしょう。
法斧・法弓作法はそれぞれ斧や弓によって魔を祓い場を清めるといった意味があり、こうした動作や文言に耳目を傾ければ、単なる形式ではなく呪術的な意味合いを持った儀式と理解できるはず。
炎が上がるにつれ場内も熱気に包まれ、行者・参拝者ともに一体化してゆくような雰囲気に。この渾然一体とした最高潮の盛り上がりに、祭りとは「フェスティバル」などではなく「信仰」なのだ、という本質を感じとってもらえたことでしょう。
炎の沈静化とともに、いよいよ火渡りです。
まずは導師が渡り、それに引き続き護摩札を掲げた行者が渡ります。
護摩の火を渡ることで煩悩を焼き去り、心身を清めて願いを通じさせるというもの。
心を静め祈念しながら渡ります。
一心不乱に祈れば、虚脱感を伴う充足感とでもいうか、そうした煩悩を捨て去った虚無の心に近づいて、自ずと本心がさらけ出せるのではないのでしょうか。そうした精神状態が神仏との感応を働かせ、神仏との一体化へと近づかせるのではないかなと思うのです。
参加者は一様にほころんだ笑顔を見せ、私たちも満足できる祭りを無事に終えることができたという達成感で感無量でした。
こうして今年最初の神事も無事に終えられましたことを、そして春季大祭・柴燈大護摩修法に関わった皆様、ご参拝くださった皆様がたに厚く御礼申し上げます。
次回の高住神社のお祭りは
7月22日(月・土用の丑)午前11時からの夏越祭となります。
盛夏に行う水無月の祓・暑気祓いの行事です。
近くなりましたらご案内致しますので、皆様のお越しお待ちしております。
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