午後になり、いよいよ山伏による柴燈護摩が始まります。
山伏たちが法螺を立て、「懺悔(さんげ)、懺悔、六根清浄(ろっこんしょうじょう)」と唱えながら峰入りしてきます。
修験においてこの言葉は、心身を清め祓う意味があるとのこと。
身を慎み、御山の懐に入るといったところでしょうか。
各々、錫杖、笈や斧といった法具を持ち、列を乱れず駈けてくる様子。
護摩に臨むにあたり、列をなして参じる様子は、九字の意味する内容と符合するように思えます。
張られた結界の入口に立ち、一太刀をもって注連縄を解きます。
儀式が終わるまで行者以外は立ち入ることが許されません。
そして護摩壇を祓い清める儀が続きます。
上から宝斧作法、宝弓加持作法、宝剣加持作法と四方と中央を祓い、一切の魔を消滅させるのです。
灯火、そして祭文奏上。
「謹み敬いて真言教主大日如来英彦山峰中三所権現…」と申し立て、護摩壇に火を渡します。
上がる煙を固唾を飲んで見守る参列者。
いつ火が上がるかと念じていると、自然と手が合掌するようです。
火が焚き上がると護摩木が投入されます。
一支ごと祈念を込め、願いのまにまに天に届くように。
柴燈護摩でもこの時が一番の盛り上がりを見せるとき。
衆徒一同、燃え上がる炎に負けじと「カンマンボーロン!」と腹から張り上げるように真言を唱え、辺りは一層熱気に包まれるのです。
最高潮を迎え、そして炎が鎮まるように緩やかに火生三昧(火渡り)へと移ります。
静かに心を静め、念じながら渡る人々。
生老病死の四苦そして八苦と、衆生は苦しみとともに生を渡り歩かねばなりません。
生きてこそつきまとう煩悩の数々。人の数だけ願いがあり、苦しみがある。
見えざる何かに独り向かうときこそ、人は心をあらわにできるのかも知れません。
それは神仏のみ知るところなのでしょう。
こうして本年の春季大祭ならび柴燈大護摩修法は無事に閉じ終えることができました。
本来ならこの様子をすぐにお届けしたいところでしたが、まとめるのに時間がかかり遅れてしまったことをお詫び申し上げます。
今回の神事にあたり、心よく写真を提供してくださった点心乱満氏に厚く御礼申し上げます。
点心乱満氏のブログはこちら。
季節のたより / http://blogs.yahoo.co.jp/philip_mollis12
また、御多忙の中、御奉仕に来てくださった方々、御参拝の皆様、本当に有難うございました。
直接お声掛けられなかった方々に、この場を借りて心より御礼申し上げます。
皆様に高住神社の御加護がありますように、社頭より御祈念申し上げます。
拝
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