本日の高住神社の状況です。
◆晴れ
◆8℃
平成29年7月の九州北部豪雨の被災によって廃駅となったJR彦山駅。
沿線自治体とJR九州が数年かけて話し合った結果、BRT(高速バス輸送システム)の導入に合意決定したことは記憶に新しいと思います。
それに伴い、先日、JR彦山駅舎を撤去するニュースが発表され、解体される前に記録に残そうと撮影に向かいました。
駅舎に向かうと、すでに線路が撤去された状態。思った以上に作業は着々と進んでいるようです。
日田彦山線はディーゼルエンジン式のいわゆる気動車という車輌。小倉-夜明間という長距離を、トンネルを越えて移動するのに最も適した鉄道形式だったのでしょう。
汽車が走ってないとはいえ、路線内に足を踏み入れていいものか躊躇してしまいます。
廃止されて久しいものの、現在も誰かに利用されているような雰囲気が漂っています。
鉄道の代わりにJRバスが運通されているので、町バスとの待ち合わせに使われているからかも知れません。
ここにいると、不思議と汽笛の音が聞こえてきそうな気がします。
鉄道利用の登山者を迎え入れる英彦山案内板。
昭和中期の面影が漂うイラスト。当時はスキーやスケートなど、冬のレジャー地としても知られていたのが伺えます。
下の画像は季刊誌『のぼろ』2013秋号に掲載されている、西日本新聞社所蔵の英彦山写真。
昭和36年(1961年)の第一次登山ブームで賑わう彦山駅の様子。
1950年代のヒマラヤ最高峰群の初登頂ラッシュが続いたことにより、登山ブームが巻き起こったそうです。
たった2台の彦山行きバスに乗るため、蒸気機関車から降りた登山客たちが急ぎ足で停留所に向かっているところ。
こちらの画像は、昭和27年(1952年)の英彦山キャンプ村の一コマ。
当時の交通事情やアクセス方法を考えると、けっこう大変な移動だと思われますが、おしゃれな服でほがらかにキャンプを楽しんでいる様子が写されています。
戦後にこうして登山といった娯楽に興じる人々が増えてきたというのは、少しずつ生活に余裕が出てきた証なのかも知れません。
こうして多くの旅客を運び親しまれてきた日田彦山線も、近年の利用者減少に歯止めはかけられず、少数の利用住民のために大きな費用をかけてまでの鉄道復旧は叶えられなかった訳です。
モータリーゼーションという産業革命以降、人間の足が鉄道から自動車にとって変わられた日から、いつか訪れることが決まっていたのかも知れません。
撤去された枕木。
またどこかで再利用されるのか、きれいに積み重ねられています。
廃駅の一部がどこかで何かに利用されるのかと思うと、寂しさも少しは和らぐことでしょう。
開業以来、多くの人々を迎えては旅立ち、数多の人生模様を見守り続けたその駅舎も、いよいよ終わりを迎えようとしています。
惜別とばかりに舞い散る桜も、この駅舎とともに眺めるのは最後です。
BRTの駅舎が新しく誕生するのか現段階では分かりませんが、蒸気機関車から鉄道に変化したときのように、鉄道から別の移送機関に変わっても、車窓から見る景色が誰かの思い出となることを願っています。
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