本日の高住神社の状況です。
◆晴れときどき雪
◆-5℃ほど
◆路面積雪量・・・15cm(圧雪状態)
謹んで新春のお慶びを申し上げます。
昨年は、世界規模の流行となった新型コロナウイルス禍によって、社会構造、世界経済、生活環境がすべて大きく変化した年でした。
日本においても開催を期待されていた東京オリンピックの延期をはじめ、各種スポーツ・文化芸術イベントの中止、旅行自粛、果ては家族間の帰省まで控えるといった状況にまで陥り、人々の生活そのものが変わってしまった、または変わらざるを得なかった大変動の年だったように思えます。
芸能・観光・飲食・旅客運輸といった人々の生活を豊かにするために支えてきた産業には激しい経済打撃となり、さらにそれを支える製造・運送・金融・サービスといった業種にも影響を及ぼすなど、直接的または間接的に、ほぼ全ての産業に関わる人々がコロナ禍による経済的被害を実感しているのではないでしょうか。
ただよくみると、流行語となった「オンライン〇〇」に代表されるように、IT・情報サービスやパソコン機器関連の業種、コロナ自粛での家ごもりによって家具家電・ゲーム・調味食料品の販売が伸びるなど好調な分野もあり、医療関連や宿泊療養施設は感染者対応のため人や施設に不足が生じ逼迫状態になるなど、コロナ情勢を幸不幸・善悪など二元的に判断してはいけないのかなと思いました。
ここからは個人的な見解になるのですが、「ある特定の種に対して(時として死を招く)異常な反応を引き起こす」というのが今回の感染症であり、動植物全般に等しく危害をもたらす地震、山火事、洪水、噴火、津波、ハリケーンといった自然災害とは違い、人類のみが選別されて受ける災害の意味を、地球規模かつ自然的見地から考えてみる余地があると思っています。それは人類の功罪やメッセージといった宗教的解釈ではなく、幾度なく疫病の発生・対処・鎮静のプロセスを繰り返してきた歴史という人類共有の経験に学ぶ過去の部分、現在のコロナ禍が未来に与える影響、いわゆるアフター・コロナの世界の想像や着地点など、マクロ的な視点を持って現実的に観察する必要があるかと。
今回の流行病は驕った人類への警告ではなく、単なる自然的な発生かも知れない。ただあるようにある空間、流れるように流れる時間の中で、この時代というタイミングで出現しただけの自然現象なのかも知れません。戦争は人類という種を滅亡できるけれど、疫病は戦争より人を殺さないかも知れない。飢餓は貧しい者を死に招くものの、疫病は富める人さえも殺しにかかる。正と邪、運や不運、信仰心の有無すら越えて「等しく」人類に反応を起こすウイルスの存在に意味を求めるのではなく、意思を持たずあるようにある存在として、自然現象の一部と捉え、自分という個人、社会を形成する人間として、さらに地球を構成する一生命とそれぞれの立場でどう向き合えばいいかを考えたら良いのかなと思っています。
話が長くなりましたが、答えはひとつの解に導かれるものではないということ。自分の思惑や理屈の主張にコロナを利用してはならず、この出来事が数年後、さらに数十、数百年後の人類にとって有益な情報となるよう今現在をどうすべきかを考える必要があると思う次第です。
さて、前置きがだいぶ長くなりましたが、数年ぶりに雪正月を迎えた英彦山です。
雪対策を忘れてしまってはないかと心配になりましたが、いざ降ってみると体は覚えていて身についた経験で思い出したようです。(雪道の運転とか)
さすがに久々の雪とあって年越し参拝者は少なく、聞く話ではコロナ対策で元日の初詣を控えた方も少なくないようです。
昨年が暖冬で無雪であったため、異様に参拝者が多かっただけなのですが、この落差は驚きでした。
とはいえ、雪が当たり前だった10年前とそう変わらない状況なので、昨年と一昨年とが無雪正月のために”豊前坊景気”が起きていただけなんですよね。
寒いもキツイも眠いもすべて受け入れ、職員ご奉仕者参拝者ともに笑いの耐えない楽しい元日を迎えられたと思います。
どうぞ本年も豊前坊高住神社をよろしくお願いいたします。