諷経(ふうぎん)の善男善女寺火鉢
大晦日、全国各地の除夜の鐘の報道が始まると
家族そろって隣町の「長谷観音」に毎年のようにでかけたのは
30代の頃だった
寒さもあまり気にならなかったのは若かったからだと今更ながら思う
本堂に200人ほどが正座して僧侶の読経が合唱のように心地よい
みな善男善女、たどたどしく「般若心経」を唱える
我が小さな娘たちも神妙だ
寺には炭の乏しい小さな火鉢がいくつかあったような記憶がある
ふるまいのお神酒や帰りの夜店の屋台が楽しみであった
大晦日、全国各地の除夜の鐘の報道が始まると
家族そろって隣町の「長谷観音」に毎年のようにでかけたのは
30代の頃だった
寒さもあまり気にならなかったのは若かったからだと今更ながら思う
本堂に200人ほどが正座して僧侶の読経が合唱のように心地よい
みな善男善女、たどたどしく「般若心経」を唱える
我が小さな娘たちも神妙だ
寺には炭の乏しい小さな火鉢がいくつかあったような記憶がある
ふるまいのお神酒や帰りの夜店の屋台が楽しみであった