住みつかぬ 旅のこころや 置火燵
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元禄3年師走。元禄4年『膳所歳旦帖』に掲載。
元禄4年1月5日付曲水宛書簡にも掲出。京都での作。
炬燵には、掘り炬燵と置炬燵がある。
前者は作り付けの固定だが、後者はインスタントでテンポラリーなものである。
漂白の詩人芭蕉としては常に旅心と葛藤し、
渡り鳥のように季節季節に漂白の想いが湧き出してくる。
新春を迎えて、弟子が工面してくれたにはちがいないが掘り炬燵ではなく
置炬燵のある家にいてみると、仮の居場所の感が一入である。
さて今年はどこへただようのか。
江戸の其角から「寝ごゝろや火燵蒲團のさめぬ内」
という句が寄せられてこれに応じて作ったとも言われている。
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元禄3年師走。元禄4年『膳所歳旦帖』に掲載。
元禄4年1月5日付曲水宛書簡にも掲出。京都での作。
炬燵には、掘り炬燵と置炬燵がある。
前者は作り付けの固定だが、後者はインスタントでテンポラリーなものである。
漂白の詩人芭蕉としては常に旅心と葛藤し、
渡り鳥のように季節季節に漂白の想いが湧き出してくる。
新春を迎えて、弟子が工面してくれたにはちがいないが掘り炬燵ではなく
置炬燵のある家にいてみると、仮の居場所の感が一入である。
さて今年はどこへただようのか。
江戸の其角から「寝ごゝろや火燵蒲團のさめぬ内」
という句が寄せられてこれに応じて作ったとも言われている。
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