竹とんぼ

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川半ばまで立秋の山の影 桂 信子

2019-08-08 | 今日の季語


川半ばまで立秋の山の影 桂 信子

立秋。ちなみに、今日の東京地方の日の出時刻は4時53分だ。だんだん、日の出が遅くなってきた。掲句では、昼間の太陽の高度が低くなってきたところに、秋を感じている。立秋と聞き、そう言えばいつの間にか山影が伸びてきたなと納得している。視覚的な秋の確認だ。対して、聴覚的な秋の確認(とはいっても気配程度だが)で有名なのは、藤原敏行の「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風のおとにぞおどろかれぬる」だろう。『古今集』の「秋歌」巻頭に据えられたこの一首は、今日にいたるまで、日本人の季節感覚に影響を与えつづけている。俳句作品だけに限っても、それこそおどろくほどに、この歌の影響下にある句が多い。「秋立つや何におどろく陰陽師」(蕪村)等々。したがって、掲句の桂信子はあえて聴覚的な気配を外し、目にも「さやかに」見える立秋を詠んでみせたということか。いつまでも「おどろく」でもあるまいにという作者の気概を、私は感じる。ところで、秋で必ず思い出すのはランボーの『地獄の季節』の最後に収められた「ADIEU」という詩。「もう秋か! それにしても俺達は、なにゆえに永遠の太陽を惜しむのか」(正確なな翻訳ではありません。私なりの翻案です)ではじまる作品だ。ここには、いわば反俳句的な詩人の考えが展開されている。日の出が早いの遅いのなどという叙情的季節感を超越し、ひたすらに「聖なる光明をを希求する」(宇佐美斉)若者の気合いが込められている。『新日本大歳時記・秋』(1999・講談社)所載。(清水哲男)

【立秋】 りっしゅう(・・シウ)
◇「秋立つ」(あきたつ) ◇「秋来る」(あききたる) ◇「秋に入る」 ◇「今朝の秋」 ◇「今日の秋」

二十四節気の一つ。8月7日か8日頃に当たる。山岳地帯などを除いてはなかなか暑いが、夏も峠を越え、秋に向かう気配がどことなく感じられる。また、立秋の日の朝は「今朝の秋」といい、秋の到来を一層敏感にとらえている。いつもの景色が昨日までとは違い、どこか秋の訪れを感じさせる。そんな感覚を持つのは朝であろう。

例句 作者

秋に入る馬の並足速足も 猪俣千代子
立秋の夜気好もしく出かけけり 高浜年尾
温泉の底に我足見ゆるけさの秋 蕪村
宿を出て神あり詣づ今朝の秋 荻原井泉水
けさ秋の一帆生みぬ中の海 原 石鼎
和三盆口にほどけて今朝の秋 三島富久恵
今朝の秋紅茶のレモン透きとほる 河村凌子
ゆきひらに粥噴きそめし今朝の秋 石川桂郎
立秋のたちまち空の高さかな 鹿志村余迷
桜蘭にオカリナ吹かな秋立ちぬ 菅原鬨也


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