竹とんぼ

家族のエールに励まされて投句や句会での結果に一喜一憂
自得の100句が生涯目標です

すこしだけ振子短くして彼岸 美濃部治子

2020-03-17 | 今日の季語


すこしだけ振子短くして彼岸 美濃部治子

金原亭馬生の愛妻治子の作
彼岸から昼が少しずつ長くなる
振り子時計の振り子を短くしても時間は変わらないのだが
一読、微苦笑してくるのはなぜだろう
細やかな楚々たたる婦人の仕草を感じるからだろうか
平和で静かな時の流れがなつかしいのだ
(小林たけし)


春分の日(三月二十一日)の前後三日間を含めた一週間がお彼岸。だから、もうすぐ彼岸の入りということになる。彼岸の入りを「彼岸太郎」「さき彼岸」とも呼び、彼岸の終わりを「彼岸払い」「後の彼岸」などとも呼ぶ。昼と夜の長さが同じになり、以降、昼の時間が徐々に長くなって行く。人の気持ちにも余裕が戻る。まさしく寒さも彼岸まで。それにしても振子のある時計は、一般の家庭からだいぶ姿を消してしまった。ネジ巻きの時計は、もっと早くになくなってしまった。振子の柱時計のネジをジーコジーコ、不思議な気持ちで巻いた記憶がまだ鮮やかに残っている。時計の振子を「すこしだけ」短くするという動きに、主婦のこまやかな仕草や、何気ない心遣いがにじんでいる。治子は、十代目金原亭馬生の愛妻で、落語界では賢夫人の誉れ高い人だった。酒好きの馬生がゆっくり時間をかけて飲む深夜の酒にも、同じ話のくり返しにも、やさしくじっとつき合っていたという証言がある。馬生の弟子たちは、この美人奥さんを目当てに稽古にかよったとさえ言われている。馬生は一九八二年に五十四歳の若さで惜しまれて亡くなり、俳句を黒田杏子に教わった治子は二〇〇六年、七十五歳で亡くなった。他に「初富士や両手のひらにのるほどの」がある。彼岸といえば、子規にはご存知「毎年よ彼岸の入に寒いのは」がある。『ほほゑみ』(2007)所収。(八木忠栄)

【彼岸】 ひがん
◇「入り彼岸」 ◇「彼岸前」 ◇「彼岸過」 ◇「お中日」
春分・秋分を中日とした7日間。梵語の波羅の訳語。波羅とは、到彼岸の略で、生死流転に迷う此岸に対して、煩悩の流れを超えた悟りの境地を彼岸という。

例句 作者

毎年よ彼岸の入に寒いのは 正岡子規
渡りゆく彼岸の遠き朝寝かな 石原八束
月山の山ひだ深き春彼岸 有馬朗人
ぜんまいをねんごろに煮て彼岸入 細見綾子
人界のともしび赤き彼岸かな 相馬遷子
竹の芽も茜さしたる彼岸かな 芥川龍之介
花替へて去来の墓も彼岸かな 野村泊月
山寺の扉に雲遊ぶ彼岸かな 飯田蛇笏
山の端に宝珠のまるき彼岸かな 阿波野青畝
遠浅の海おそろしき彼岸かな 岩下四十雀


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