すこしだけ振子短くして彼岸 美濃部治子
金原亭馬生の愛妻治子の作
彼岸から昼が少しずつ長くなる
振り子時計の振り子を短くしても時間は変わらないのだが
一読、微苦笑してくるのはなぜだろう
細やかな楚々たたる婦人の仕草を感じるからだろうか
平和で静かな時の流れがなつかしいのだ
(小林たけし)
春分の日(三月二十一日)の前後三日間を含めた一週間がお彼岸。だから、もうすぐ彼岸の入りということになる。彼岸の入りを「彼岸太郎」「さき彼岸」とも呼び、彼岸の終わりを「彼岸払い」「後の彼岸」などとも呼ぶ。昼と夜の長さが同じになり、以降、昼の時間が徐々に長くなって行く。人の気持ちにも余裕が戻る。まさしく寒さも彼岸まで。それにしても振子のある時計は、一般の家庭からだいぶ姿を消してしまった。ネジ巻きの時計は、もっと早くになくなってしまった。振子の柱時計のネジをジーコジーコ、不思議な気持ちで巻いた記憶がまだ鮮やかに残っている。時計の振子を「すこしだけ」短くするという動きに、主婦のこまやかな仕草や、何気ない心遣いがにじんでいる。治子は、十代目金原亭馬生の愛妻で、落語界では賢夫人の誉れ高い人だった。酒好きの馬生がゆっくり時間をかけて飲む深夜の酒にも、同じ話のくり返しにも、やさしくじっとつき合っていたという証言がある。馬生の弟子たちは、この美人奥さんを目当てに稽古にかよったとさえ言われている。馬生は一九八二年に五十四歳の若さで惜しまれて亡くなり、俳句を黒田杏子に教わった治子は二〇〇六年、七十五歳で亡くなった。他に「初富士や両手のひらにのるほどの」がある。彼岸といえば、子規にはご存知「毎年よ彼岸の入に寒いのは」がある。『ほほゑみ』(2007)所収。(八木忠栄)
【彼岸】 ひがん
◇「入り彼岸」 ◇「彼岸前」 ◇「彼岸過」 ◇「お中日」
春分・秋分を中日とした7日間。梵語の波羅の訳語。波羅とは、到彼岸の略で、生死流転に迷う此岸に対して、煩悩の流れを超えた悟りの境地を彼岸という。
例句 作者
毎年よ彼岸の入に寒いのは 正岡子規
渡りゆく彼岸の遠き朝寝かな 石原八束
月山の山ひだ深き春彼岸 有馬朗人
ぜんまいをねんごろに煮て彼岸入 細見綾子
人界のともしび赤き彼岸かな 相馬遷子
竹の芽も茜さしたる彼岸かな 芥川龍之介
花替へて去来の墓も彼岸かな 野村泊月
山寺の扉に雲遊ぶ彼岸かな 飯田蛇笏
山の端に宝珠のまるき彼岸かな 阿波野青畝
遠浅の海おそろしき彼岸かな 岩下四十雀
毎年よ彼岸の入に寒いのは 正岡子規
渡りゆく彼岸の遠き朝寝かな 石原八束
月山の山ひだ深き春彼岸 有馬朗人
ぜんまいをねんごろに煮て彼岸入 細見綾子
人界のともしび赤き彼岸かな 相馬遷子
竹の芽も茜さしたる彼岸かな 芥川龍之介
花替へて去来の墓も彼岸かな 野村泊月
山寺の扉に雲遊ぶ彼岸かな 飯田蛇笏
山の端に宝珠のまるき彼岸かな 阿波野青畝
遠浅の海おそろしき彼岸かな 岩下四十雀
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