今日逗子に行って写真を撮ってきた。
まだ夏は終わらない感じだ。
ウィンドサーフィンが一杯だ。
海の家はおしまい。
典型的な海の風景もまだ健在。
良いショット。
ミッキー・カーチスの王な人が。。。
まだ夏は終わらない感じだ。
ウィンドサーフィンが一杯だ。
海の家はおしまい。
典型的な海の風景もまだ健在。
良いショット。
ミッキー・カーチスの王な人が。。。
現実に、読売新聞は、原発が潜在的な核抑止力である旨を申し述べている。しかも社説で。
だから、ここでは、一点に絞ったお話をしたい。
それは、「マッチョ」ということだ。
原子力発電を推進しようとしている人々の共通項は、「マッチョ」というところにある、と、少なくとも私は、かように考えている。
理由は、私自身が、原子力のパワーに魅力を感じているからだ。
パワー以外のすべての点で、私は、原子力技術には疑念を抱いている。
問題は、この「原子力かっけー」「原爆つえー」「核分裂パねぇ」というこの感慨が、ハタから見て、あまりにも子供っぽく見えることだ。
でも、細かいことを言えば、大馬力のマシンにおいては、停車時から時速百キロに至るまでの加速時間が著しく短い。それゆえ、合法の範囲内であっても、ほんの5秒ほどの間の加速過程に限定した話をするなら、ドライバーは、その5秒の間、エンジンパワーがもたらすところの至福の官能美を味わうことができる。
たったの5秒?
そのために2千万円を費やすのか?
そう。ぶっこむのだよ。それがマッチョだ。
それらを止めるためには、われわれの中にいるマッチョをなんとかして説き伏せなければならない。
それは、とても難しいことだ。
主筆は85歳になっているはずだが、いまだに中二病だ。
道は険しい。