温故知新~温新知故?

音楽ネタが多いだろうけど、ネタのキーワードは、古きを訪ねて新しきを知ると同時に新しきを訪ねて古きを知るも!!

爆問学問 FILE102:「2010年 縄文の旅」

2010-03-03 21:37:13 | 映画、TV、ミュージカル、エンタ
昨日の爆問学問は縄文時代の話。
我々の世代はまさに下にあるように弥生時代に比べて未開という文脈で教育を受けた。
しかし、最近はそうではないということがよくいわれている。
そのあたりを、しっかり説明していた。
弥生時代は合理性。
縄文は、合理性というより、機能などを超えた世界観などを表していたようだ。
縄文の方が古い時代なのだから、我々日本人のDNAは縄文の方が本質なのかもしれない。
好きだなあ、こういう話。
合理性というのはどうも西洋的な価値観で違和感を感じるのだ。
日本人しかそのような違和感を感じないのかもしれない。
爆笑問題のニッポンの教養 | 過去放送記録 | FILE102:「2010年 縄文の旅」 | 小林達雄(こばやしたつお) | 2010年3月2日放送分
小林達雄(考古学)縄文時代といえば、文明を持たず、もっぱら狩猟や採集に頼った未開社会だと思っていないだろうか。そんな従来のイメージを覆す縄文像を打ち出してきたのが、小林達雄國學院大學名誉教授だ。

で、縄文土器というのは、使い勝手がいいということを問題にしないんですよ。私はこれを「器離れ」と。
太田:例えばね、随分後になりますけど、利休、千利休みたいな人が出てくるじゃないですか。

で、利休がやったことっていうのは、これと逆に見えるんだよね。(装飾を)抜いて、抜いていく。逆は逆だけど、無駄は省いているけど、「この名器見てください」。これって機能とまた別の価値観でいっちゃうよね。だからつまり、その後の日本人の中にも、やっぱりそういう感覚ってしっかり残っているような気がするんですよね。
小林:だから、造形のなかにね、世界観を込める。詩人が詩を作るのと同じように、縄文人は土器に詩心を表現しているんですよ、ある意味。そういうことって、今、ないわけですよ。

今日はおつきあいで柳生博氏の講演会を聴いてきたけど、そのなかでも、それに近いことを言っていた。
サーラグループ100周年記念サイト/100周年トピックス Topics
3月3日(水)
柳生博氏
(俳優・財団法人日本野鳥の会会長)
演題:「森と暮らす、森に学ぶ」
時間:18:30開演(18:00開場)

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