ケンのブログ

日々の雑感や日記

道ひろくなり橋もあたらし

2019年03月11日 | 日記
三月十一日という日付を見て
東北の震災からもう8年になるのかと思う。
あの日は関西でもなんとも言えない
微妙な揺れがあったことを記憶している。
関西の僕がすんでいる地域はそんなに強い揺れではなかったけれど
なんかフワーっとした感じの今までに
経験したことのない揺れだと思った。
昨日だか一昨日だか
東北で被災したある町で
津波を避けるための大きな防波堤が建った。
その防波堤が建つ前は女の子の家のリビングから
海が見えていたけれど
その防波堤で海は見えなくなり
女の子はその防波堤にボールをバウンドさせて
テニスの練習をしているという内容の話が
新聞に記載されていた。
その防波堤は新聞の写真で見ると
城壁を思わせるような高い壁だった。
海も見えなくなった。
もうこの防波堤があれば津波が来ても
きっと大丈夫だと思った。
でも海が見えなくなるのはさびしいなとも思う。
しかし、実際に被災した人はとんな思いなのだろう。
それは被災した人にしかわからないと思う。
例えば海を見ると津波のことを思い出して
怖くなるという場合にはやはり海が見えないほうが
いいだろうし。
防波堤ひとつとってもそれぞれの人によって
いろいろな思いがあるのだろうなと想像する。
やはり昨晩のラジオ番組で東北のかたからの
お便りが読み上げられた。
復興したところもあるし
時の流れにとりのこされたようなところもある
という内容のお便りだった。
それはその通りだろうなとおもう。
そんなことを考えていたら
石川啄木のこんな歌がこころに浮かんだ

ふるさとに入りてまづ心いたむかな
道ひろくなり橋もあたらし

普通は道が広くなり橋が新しくなれば
新しい道と橋ができたで
はよ見にいかなとばかりに
喜んで見に行くところではないかとおもう。
でも新しいみちや橋を見てこころがいたむひともいる。
石川啄木の歌を見ているとひとの思いは様々だなあと思う。